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2009年11月

キアラ・バンキーニ(Vn)初来日について宣伝(2010年3月)

バロック・ヴァイオリンの「女王」として有名な、イタリア語圏スイス人のキアラ・バンキーニとアンサンブル415が来年春に初来日する。

彼女のことは無論CDでよく知ってファンであったが、数年前、バーゼルで開かれたバロックバレエのヴェロニク・ダニエルズのホームパーティで初めてお会いしたことがある。初めてながらも、ヘンデルがレーオやヴィンチと共作したパスティッチョ・オペラを初演してみたいから音楽学の側から手伝ってもらえないかという話をしてもらったこともあって、器楽奏者ながらこれほどオペラと音楽学に興味をもっている人なのだと、ずっと印象に残って気になった存在であった。

それから数年たち、すっかり忘れたかのような感じであったが先ほど彼女から送られてきたメールによると、今度日本でコンサートが決まったからぜひ東京か大阪で会えないかというもの。ちょうど来年3月は私も帰国のため、ほいきた案内役は大丈夫と返事を出したので、ここはさっそく太鼓持ちとして(もちろん彼女の団体の真価を知ってもらいたいので)、コンサートの前宣伝をしてみたいと思う。

呼び元は古楽を専門にするアレグロミュージックだそうで、チラシからももう結構な力の入れようだ。
http://www.allegromusic.co.jp/Ensemble415.html

●来日期間: 2010年3月8~14日
●演奏曲  ボッケリーニ作曲「スターバト・マーテル」(1781)

●日本公演スケジュール 

◎3月10日(水) 東京 カザルスホール 03-5216-7131 アレグロミュージック 発売中
  
◎3月11日(木) 東京 王子ホール 03-3567-9990 王子ホールチケットセンター 発売中
  http://www.ojihall.jp/concert/lineup/2009/20100311.htm
◎3月13日(土) 大阪 ザ・フェニックスホール 
  http://phoenixhall.jp/sponsor/series/2009/1

チケットは、東京で6000円、大阪は4000円とのことだが、歌付きの旬の本物のイタリア・バロックを聴くためには当然の御代ではある。カザルスは3月で閉館とのことなのでそういうことからも見逃せないコンサートになるはずである。  http://artists.pia.jp/pia/artists.do?artistsCd=9A140020
(AMAIG等会員には今後何かあるかも?)

個人的にはアンサンブル415として出した、ナジッロとのチェロコンチェルト集とボノンチーニの録音が好きだが、新譜のアルビノーニについて(ボンジョヴァンニから出た演奏がひどかったのでもう絶対いやだと思っているのだが)、彼女がどう演奏するのかでとても気なっている。
http://www.hmv.co.jp/search/index.asp?keyword=ensemble+415&site=

来日コンサートでは、ボッケリーニの「悲しみの聖母」(スターバト・マーテル) の1781年版の初版をとりあげるように、やはり彼女の真価を発揮する声楽曲で臨んでくる。日本人の器楽奏者が、器楽だけで終始してしまうのと対照的であろう。
これ以上宣伝で勝手にでまかせをしゃべって問題になるといけないので、以下、アレグロミュージックのサイトから転載することとする。

http://www.allegromusic.co.jp/Ensemble415.html
「この作品はソプラノとチェロ2台を使った弦楽5重奏のために書かれた。この編成はボッケリーニが考案したといわれる。声は楽器群の響きと完全に一体化し、チェロが進んでそのソリストの役を務める。
 ボッケリーニは敬虔で真摯な人物として定評があった。それゆえこの作品が歌詞の痛ましさを尊重しつつ、あるときは悲壮に、あるときは感動的に、あるときは荘厳にと表情を変えていくのはごく自然なことである。

 今や多くの著名演奏家が来日を重ねる中、未だ日本を訪れたことのなかったバロック・ヴァイオリニストの大御所、キアラ・バンキーニが初来日を果たします。オランダ、ベルギー、ドイツの北ヨーロッパ・ピリオド弦楽系とは一線を画し、ラテン系ならではの美感、清冽でつややかなサウンドは、多くのファンを獲得しています。
 バンキーニの下で育ったヴァイオリニストは、E.ガッティ、ビオンディなどそうそうたる顔ぶれです。名手ジュリアーノ・カルミニョーラが、現在でも古楽奏法を相談するというのですから、いかに存在が大きいかが推測できます。


アンサンブル415 プロフィール

 1981年、ジュネーヴにおいてキアラ・バンキーニによって創立され、2001年からフランシュ=コンテを本拠とする。名前はバロック音楽の演奏におけるピッチの一つ(A=415)に由来する。最初のメンバーはフランソワ・フェルナンデス、エンリーコ・ガッティ、エミーリオ・モレーノ、ファビオ・ビオンディらであったが、20年を経た現在は、若いヴァイオリニストたちの参加を得て活動を展開している。ダヴィッド・プランティエ、ステファニー・フィステル、エヴァ・ボーリ、レイラ・シャイエがアンサンブル創立当初の熱意を受け継ぐ。世界各地の主要な音楽祭やコンサートホールに招かれ、コンサートとレコーディングは評論家からも聴衆からも高い評価を受けているが、それだけでなく、17~18世紀の作品の解釈と演奏の発展と、音楽愛好家に対して提示するレパートリーの拡大とに努力を続けている。

 有名な作曲家とともにジュゼッペ・ヴァレンティーニ、ジョヴァンニ・ボノンチーニといった作曲家を再発見してレコーディングやコンサートに取り上げており、これは質の向上、レパートリーの発見と刷新、そして芸術的完成をめざした根気強い研究の積み重ねによるものである。

 アンサンブル415は優秀なバロック・ヴァイオリンとヴィオラの奏者を中心に、イタリア独特のカラーに彩られたコンティヌオ・グループが脇を固めている。快い音のハーモニー、高度なテクニックに支えられた正確なタッチはメンバー同士をつなぐ芸術的共感と、第1ヴァイオリニストで芸術監督でもあるキアラ・バンキーニのほとばしるような閃きによって生み出されたものである。

 13~40人の室内オーケストラ編成に拡大して、サンマルティーニやボッケリーニのシンフォニー、コレッリやムファットのコンチェルト・グロッソなどを演奏したり、コレッリのソナタ作品5やヴィヴァルディのトリオ・ソナタからボッケリーニやモーツァルトの五重奏曲と六重奏曲、そしてJ.S.バッハやハイドンの室内楽も演奏する。ボッケリーニの五重奏曲作品39、60、63、六重奏曲作品23から3曲を、そしてアニエス・メロンをソリストに迎えてソプラノと弦楽五重奏のために書かれたスターバト・マーテルの最初稿をレコーディングしている。

 レコーディング歴は長く、約20枚のCDのほとんどが国際的な専門誌から賞を贈られた。2001年からパリのジグザグ・テリトワール・レーベルと組み、その共同作業から生まれたジュゼッペ・ヴァレンティーニのコンチェルティのCDは評論家と一般大衆あげての絶賛を博し、2002年、"ディアパゾン・ドール"と"ディス・ド・レペルトワール"を受賞した。

 サブレ・シュル・サルト、ディエップ、オー・ジュラ音楽祭、ユゼー、リヨン、リール、ナント、ポントワーズ、サンミシェル・アン・ティエラーシュなどでの古楽フェスティバルに毎回出演し、ナントの「ラ・フォル・ジュルネ」やシュレズネス劇場のシーズンにも招かれている。コレッリの管弦楽曲のほか、ヴィヴァルディ、ヴァレンティーニ、ムファット、ボノンチーニ、ポルポラ、ジェミニアーニの作品がプログラムに登場する。室内楽ではモーツァルトとハイドンの三重奏曲、モーツァルトの五重奏曲(クラリネット奏者ジル・トメと共演)、コレッリとボンポルティの「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ」などを演奏する。

 アンサンブル415の共演者にはクリストフ・コワン、ロエル・ディルティアン、クリスティアーヌ・ジャコテ、ルネ・ヤーコプス、マリア・クリスティーナ・キール、アニエス・メロン、ギ・ド・メイ、アンドレアス・ショル、ジュリアーノ・カルミニョーラ、ヴェセリーナ・カサローヴァ、ラース・ウルリク・モルテンセン、バルトルド・クイケンらがいる。初来日。

キアラ・バンキーニ(音楽監督、ヴァイオリン)

 スイスのルガーノに生まれる。世界をリードするバロック・ヴァイオリニストの一人と認められ、主要な古楽フェスティバルに毎回招かれている。

 ジュネーヴ音楽院(コルラード・ロマーノのクラス)とハーグ音楽院で学び、優秀な成績で卒業後、シャーンドル・ヴェグとシギスヴァルト・クイケンの指導下で研鑽を積んだ。その後、ラ・プティット・バンド、エスペリオンXX、ラ・シャペル・ロワイヤルなどのアンサンブルに加わり、国際的ソリストとして頭角を現した。

 ジュネーヴ古楽研究所でバロック・ヴァイオリンを教えた後、バーゼル・スコラ・カントールムのバロック・ヴァイオリン教授に任じられた。エレーヌ・シュミットらとともに若い才能あるヴァイオリニストの世代を担う。ヨーロッパ各地、南アフリカ、オーストラリア、アメリカでもマスタークラスを行なっている。

 エラート、ハルモニアムンディ・フランス、ジグザグ・テリトワール(2002年以降)からCDが発売されている。

 1981年に独自の室内オーケストラ「アンサンブル415」を創立して以来、アンサンブルはコンサートやレコーディングで国際的な活動を展開している。

 キアラ・バンキーニは室内楽演奏にも熱意をもって取り組み、特にモーツァルトのヴァイオリンのためのソナタ、コレッリの作品5、ボッケリーニの五重奏、六重奏、スターバト・マーテルのCDは注目を浴びている。

 ダーバン(南アフリカ)、アデレード(オーストラリア)、ポルトガル、ラトヴィアなどのオーケストラやフランスのペイ・ド・サヴォア・オーケストラを指揮して、バロックとクラシックのレパートリーを演奏している。 2007年にはアンドレアス・ショルをソリストに、スコットランド室内管弦楽団を指揮した。しばしば各地の国際コンクールに審査員として招かれ、バロック・ヴァイオリン・ソリストのコンクール、「コンコルソ・ボンポルティ」の審査員長を務めたこともある。初来日。

マリア・クリスティーナ・キール(ソプラノ)

 アルゼンチンに生まれ、声楽とヴァイオリンを習った。1983年、ヨーロッパに渡り、バーゼル・スコラ・カントールムでルネ・ヤーコプスの指導下にバロック音楽を専門的に勉強した。同時にエヴァ・クラズナイの歌唱法コースを受講した。間違いなく今日のバロック音楽界をリードする声楽家の一人であり、グスタフ・レオンハルト、ルネ・ヤーコプス、ジョルディ・サバール、フィリップ・ヘレヴェッヘ、フランス・ブリュッヘン、コンラート・ユングヘーネルらの指揮者、コンチェルト・ヴォカーレ、ラ・フェニーチェ、カントゥス・ケルン、エスペリオンXX、コンチェルト・ケルン、アンサンブル415などのオーケストラやアンサンブルと共演している。

 バロック初期の音楽を中心に活動し、「ラ・コロンビーナ」「ダエダルス」「コンチェルト・ソアーヴェ」というアンサンブルを結成に参加した。1988年、インスブルックでルネ・ヤーコプスの指揮するカヴァッリの歌劇「ジャゾーネ」に出演してオペラ・デビューした。「ポッペーアの戴冠」「オロンテーア」「ダイドーとエネアス」(以上ルネ・ヤーコプス指揮)、ガリアーノの「ダフネ」、モンテヴェルディの「オルフェーオ」「ウリッセの帰郷」(以上ガブリエル・ガルリード指揮)に出演し、ヴィヴァルディの「テンペのドリッロ」(指揮ジルベール・ベッツィーナ)とプロヴェンツァーレの「妻の奴隷」(指揮トーニ・フローリオ)のタイトルロールを歌った。カルデーラのオラトリオ「キリストの足下にひざまずくマッダレーナ」のマグダラのマリア、モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」(いずれもルネ・ヤーコプス指揮)は大きな反響を呼んだ。」 
                                       (以上アレグロミュージックより転載おわり)

おそらくは某紙にインタヴューを載せることになると思うが、こちらは首を長くして楽しみにされたし。

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明らかになった盗品買い(善意の取得者として)

このところ散財をくりかえしているが、さらにこの3ヶ月、重点的に18世紀のナポリの劇場関連文書を購入してきた。

もう15点ちかく、それも1770年代の興行文書で直接研究にかかわるのものなので、高額であるが、いろいろ工面をして支払いをしてきた。その内容は、サン・カルロ劇場の内部文書、収支報告書、公演後のメニューとその価格、フィオレンティーニ劇場の興行師の破産問題、検閲用台本とその報告書、ロシアのエカチェリーナのもとにいる大使からの報告書、ロシアにいるイタリア人コピスタへの支払い文書、クリスチャン・バッハのナポリ招待などの文書、などなど、その内容は劇場史にとって第一級のものでクリスティーズの出品品であってもおかしくはない。

古物商が言うには、ナポリの貴族として在ローマのガエターニ伯爵家の当主に子供がなくて文書庫を引き取った中から見つかったというので、一応それを信用して取引をしてきた。今週になりその彼から電話があり品物が(在庫に)見つかったから来いといわれて見に行くと、どうも昔目にしたことのあるフィオレンティーニ劇場の修復図を持っている。

フィオレンティーニ劇場は、1778年に劇場の地下に洞穴が見つかったこともあり建築師フェルディナンド・フーガ指揮のもと改築を行ったのだが、そのフーガのサインつき報告書と劇場内部図がおっさんの手の中にある。それからほかにもカゼルタでの上演記録と収支報告書など4点ばかり。問いただしても、何枚も作ったうちのコピーじゃないか、というのでそれを信じながら、もちろん、こんな機会はないので購入することとして、一部金だけ払ってその一部を持って帰った。

しかし、やはり何かおかしいと思って、ここにリンクにも張ってあるナポリの文書館のデジタルアーカイブを確認すると、その文書とまったく同じものが掲載されているではないか。そのほか、いろいろと確認してみたら、私がすでに購入して持っていたいくつかの文書そのものが、国立ナポリ公文書館の所蔵品としてUPされているのである。

これはやられたと思い、翌日2009年11月26日、すぐに家のすぐ裏手にある国立ナポリ公文書館に赴き、当該のファルネーゼ文書、fascio1842を注文してみる。
そうしたら、なんとその巻だけ閲覧室ではなく、4階の地図書庫に配置されているのだというので行ってみると、その部屋に勤める女性館員が、「女性の音楽の歴史を研究しているの」とかと言ってその巻を「調査中」であり、たいそう面食らった様子でもう一人の館員となにやら目配せしており、明らかに不穏な雰囲気が広がってきた。ピンときた私は二人になったところをみはかりかまをかけてみると、その女は眼で訴えてきながらも、文書館のものよと繰り返してばかりいる。

直接閲覧室に運ばせ中身を確認すると、当該文書がやはり欠落している。
フェルディナンド・フーガの内部図の部分や、グルックのオルフェーオ上演関連のファイルに欠落が見られ、それと私が購入していたものとが合致するのだ。どうも、有名人のサインが入り、美しい字や、装丁がなされたものだけ抜き出されている様子で、いろいろな意味でプロの仕業だと感じ入った。

文書館から紙1枚を持ち出すことはうまくやればそれほど難しいことではないかもしれないが、到底素人ができるものではない。その量、質ともにすぐに内部の犯行だと感じたが、まさに、ビンゴであり明らかにその4階の職員(たち)の犯行であろう。考えてみれば、文書館は、マフィアの力が特に強い場所にあるので、むしろ文書館はマフィアの手下にあるのかもしれない。企業だけでなく、大学や役所のトップがマフィアであることもしばしばらしいので、文書館の組織的な犯行とも考えられる。(追求すると本当に消されることもあるのでこういうのは追求しないが吉である。)

しかしながら、未発見の史料かと喜んでいた私は、これにはがっかりであった。文書館の、しかもカタログ番号まで特定できる史料であることから、これを公表した時点でそれが存在しないものであると共に、私に窃盗の疑いがかけられるからだ。
日本では、この場合善意の取得者として返品と共に返金されるのだろうが、イタリアではどうなのだろう。彼らが金を返すとは到底思えないし、文書館が金を払ってくれるとも思えない。さらに、もうその一部は悪意ある犯行者の手の中にあることもわかっている。もう買わないと彼に連絡するとともに、交渉してその残りを買い叩き、その後に処置を考えるしかないであろうか、どちらにしても弁護士と相談しなくてはならない案件となってしまった。

さらに彼らも売った相手が悪かった。まさか翌日に出所が特定されるとは思いもよらなかったであろう。私も知らなかったことにしておくのが一番よいかもしれないが、史料保存を何より大切に思い、史料の正しい「系図」を作るのが仕事であるため、まずはここに書いてとりあえずはその「所在」を報告をすると共に、このようなことがおそらく過去にたくさんあったのであろうと感じ大変残念な気持ちである。いや、むしろとりあえずは私がすべて所有し、折があれば返還さえしようと思っているのでむしろ幸運なレアケースであったようにも思われる。

それにしても、欲しいと思っているものが都合よく出てくるナポリの「素晴らしさ」は他の地域とくらべて群を抜いている。さすがはナポリではないか。私もあまりに深くこの町になじんでしまっているのだろうとしても、またそれを実現させる私自身の欲深さに驚いた。そう、モーツァルト研究で有名な音楽学者アンガーミュラーの場合、彼はモーツァルトの家を買い取って博物館にしたほどの研究家で、かつ金満家で有名であるが、そのわけは、その昔昔モーツァルトの自筆譜をこっそりと発見しそれを高値で売りさばいていたからというらしく、これもまずは対象への欲深さとそれを実現させる能力が根底にあったからではないかと思う。(反対にこれが無い人は研究者に向いているかどうか微妙ということである。)

なお、この騒ぎのおかげで調査したファルネーゼ文書fascio 1842の中には、なんと興行師ジェンナーロ・ブランキのカゼルタ上演時の帳簿があることがわかった。これは文書館の内部カタログにも記録されていないものであるため、これまで私もまったく知らなかった史料であるが、これまで長らくブランキの活動とその人に注目していた私は、まさに彼の汗と垢がしみこんだように見える紙製の手帳を前に大分と興奮して、すぐに複写願いをするとともに、全ページ精査したばかりか、美しい紙で装丁されたファイルの外側で、おそらくは彼の手垢で黒ずんだ部分のにおいも嗅いでみた。紙とインクと埃のにおいの中に何か有機的なものを感じ取りむせたが、それが興行の大変さを表しているような気がして大変充実した気分となった。

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ぶらりの旅@ちゅにす

しばらく忙しく私的な旅行をしていなかったが、先日思い立ったが吉日と、夕方にアリタリアに電話してフライトを予約して、2時間後、最終便で着の身着のままでアフリカのチュニスに出かけた。

ローマからわずか1時間。ディドネが棄てられたカルタゴの地が気になり、前々から気になっていたがなかなか出かける機会もなく時間がたってしまっていた。
到着翌日、すぐにメディナをうろつき、香水の押し売りにあってからようやくここはアラブ圏にきたと気を引き締める。全体にイスタンブルのものより規模が小さく、さほど観光客化されていない様子だが、それでも目抜き通りは基本的にどうしようもない個性の無い土産であふれている。奥のほうにはいくつかの伝統工芸の金銀細工などの専門店もあるにはあったが、イスタンブルのように個性は少なく、現代の製品が多く、大阪の道具屋町のような雰囲気である。さらに横道に入ると支那雑貨であふれており、大変な変化がここにも押し寄せているのを感じた。

新市街は、300メートルほどの距離にホテルとカフェが立ち並び、雑多な人々でにぎわっているが、主要道を除いて一つ脇道に入るともう寂れた感じが漂い、首都のわりには大分と規模が小さいように感じる。夜6時ごろハマムにいこうと思ったら、まだ「女時間」で、扉を開けるなり大変なことになった。7時からの「男時間」に再度出直し、マッサージをさせるが、トルコでは下手したら2000円近く入場料で取られるのに、ここは入浴料100円、マッサージ200円という感じで驚いた。ここでようやくアザーンを聞いたが、トルコに比べて聞かないにも等しいほどである。またレストランもきわめて限られた数しかなく、食文化はどうも低いように思われる。

翌日は鉄道で第2の都市スースに行く。国内一の幹線で「グランド・リーニュ」というからどんなものかと期待していたら、なんのことはない、汽車が現役の田舎鉄道であった。汽車の形が時代を感じさせるほか、狭軌の線路のガタピシ感もここはいまだに植民地なのだと思わずを得ない。
1時間30ほどで到着、乗り合いタクシーにて中央。堂々たる城?壁に囲まれた旧市街メディーナは大変大きいように思われるが、大部分は細い曲がりくねった道と民家で成り立ち、観光地はごく一部である。道を歩くとマルティナ・フランカやらジェノヴァの旧市街という気もしてくる。ガイドを買ってでるおっさんに道案内させると、すぐに絨毯屋に連れて行かれる。一応見せてもらうと、もう出られない雰囲気なので、それならと廊下用にぴったりな美しい絨毯が300ユーロだというのを50ユーロまで負けさせたので購入する。羊毛の手織りで証明書付きのものである。
一巡りすると、ここでも支那雑貨にあふれ、港があるにもかかわらず商業港で観光するようなものもなくやけに埃っぽいので、チュニス風の揚げた包み揚げのピザなどを食べた後、3時間の滞在で再びチュニスに戻る。めぼしいレストランが無いのはここでも同じである。

チュニスでは、今年で22年目?で、さらに5年間の期限で再選された大統領の顔が本当にあちこちに掲げてあり、国王様かと勘違いするほどであった。目抜き通りには彼の政治パフォーマンスの場が設けられ、興味半分訪れたが、お茶に英語のパンフレットに、外国人へのアピールのためか大変なもてなし?である。資料によれば、国民所得だけでなく、大学予算、研究者数もここ5年でかなり伸びていることがわかったが、このご時勢、どの大統領になっても当然だせるパフォーマンスではあろう。なお、アラビア語でのグラフは読み書きと同じく、時系列的に右から左に表記されるのは興味深い。

疲れたのでカフェ・ド・パリの外でビール。イスラム圏なのにアルコールは公認で大いににぎわっている。その後、昨日から始まった「カルタゴ演劇祭」で上演されるドイツ演劇を見ようと、時間まで待つ間、近くのカフェをはしごし、アーモンド紅茶、ミントティーなどで腹を膨ますが、一人旅とみつけると、次々に声をかけて隣に座ってくる男の子(ほぼ男娼)たちを暇がてら適当にあしらいながらも1杯おごって身の上話などよもやまを聞いてみる。どれもなかなかに興味深いが、あからさまな豪華なお釜クンだとか、30歳の「ジゴロ君」だとか、中卒でアラビア語しかできず片言のフランス語ながらどうも10歳ぐらい若く見てくれた「いまいち君」だとか、基本的には無職か学生でいくばくかの小遣いを外人にせびるものたちばかりかと思ったら、大学で社会学の博士をとろうとしている「がり勉君」だとか、りりしい20歳の「ヒップホップ君」だとか、次から次へ本当にヴァライティに富んでいてまったく飽きることがなかった。

カフェの立ち並ぶ目抜き通りには、今年で設立100年になる国立劇場が建っている。ここを舞台として「カルタゴ演劇祭」が開催されているが、その杮落とし作品には、ペーター・ハンケ?Peter Handkeのカスパー《Kasper》という現代ドイツ演劇で、チュニジアのものが見たかった私には残念であるも、チケットが500円程度であったので劇場見学をこめてこれを観劇。中に入ると、19世紀的な装飾が施された3層の中型のフランス型劇場であり、大学教育を受けているような若者でほぼ満席となる。

この作品、1987年、ルールで初演されて以降、ほかの土地で上演されていない現代演劇である。全編ドイツ語上演でフランス語字幕であるが、全体に、トートロジーに酔うというか、ブルジョワ生活と古典演劇が基盤にあってその「解体」(笑)の思想が根底に流れているのか、全体に80年代を感じさせるある種懐かしい時代錯誤作品であった。
とりわけ、ヨーロッパ以外、とりわけさきほどの男の子たちの語りを介して浮かび上がってくるチュニジアで上演されるとき、作品にはまったく何の意味も共感も持たれない自慰的作品のように思われ、実際途中で帰った人も多い。何を基準に演劇祭の杮落とし作品に選ばれたのか腹立たしいものであったが、おそらく演劇研究者に解説してもらうなら結果は違ったのかしらとも思う。間テクスト性(笑)、とか、いろいろな分析方法があるのでしょうが、私にはチュニジアを馬鹿にしているように感じられたので奥に陣取っていた作者に卵をなげつけてやりたいとも感じた次第である。 
それでも、日本などでよくいる演劇かぶれ人のような風体をした若者たちが終演後熱くなっていたので、そういう層もそこそこここにもいるのかと、そのうちに文化的に楽しみな国になるかしらという予感もした。
夜は、タバコバーにて2時ごろまで水タバコを片手にいろいろな人と話して楽しく過ごす。

最終日、朝にはカルタゴ遺跡。一駅乗りすごして大統領官邸前駅で降り歩くが、警備がものものしくご大層な雰囲気であった。
遺跡は「最寄駅」からも離れた場所に、8箇所ぐらいに散らばっており、共通券を購入。最初に海沿いのハマム?跡を見るが、地下遺構と柱が1,2本わずか残るだけで 想像図でその大きさ(高さ)をようやく認識する程度。次に劇場跡を見ると、とるこのアンタルヤの近くで見たすばらしいローマ劇場の遺構と正反対で、ほぼコンクリで修復した現代的なものである。夏に演劇などが行われるからといっても、これはひどい。実際観光客もほかにはいない。ローマ時代の「市街」も見たが、ポンペイやエルコラーノの10分の1の規模なので、早々に切り上げて港町のレストランを目指して車に乗る。ディドネのいた町はどんなところであったのであろうかという昔からの好奇心に反して、とりあえず熱くい場所で遠浅の海があるということしかわからなかった。

チュニスに戻る途中の港のレストラン街といっても、海岸沿いではなく、村の目抜き通り?に5,6軒が立ち並ぶだけである。呼び込みを無視して、一番はやっているところにいくと、その特別料理が、パンのちぎったものにひよこまめのスープをかけて半熟卵とツナとスパイスをかけてたべるおじやのようなものだという。それを前菜に鯛のような魚を選んで焼いてもらう。港が近く、焼き加減は悪くないが、魚は臭く、内臓も一部残って久々に肝の苦味を感じた。しかし隣の席のマダムは東京に行ったことがあるのよと自慢げだし、横のカップルはBMVを乗りつけてきたのでもしかしたら大変有名な場所だったのかもしれない。ミントティーと一緒に、相席の夫婦にもらった生アーモンドを食べるころにはチップも弾む気になってくる。しめて2000円ほどであった。

膨れた腹を抱えて再び車にてバルドー美術館。ナポリ国立美術館のポンペイ出土品で見慣れたモザイク画の専門館であるが、規模が多きく、保存もよいように思われる。漁師の絵、戦争を鼓舞する楽師の絵が印象に残ったが、それより工事で働いている若者の幾人かがそこに飾られているローマ彫刻のように美しかったのがなにより心に残った。こういうときはアブー・ヌワースの詩でも諳んじるべきなのであろうが、そんなことをしなくても、見つめるだけですぐに色っぽく見つめ返してくれるのはマグレブ諸国の男子として当然の反応である。

目抜き通りに戻ると、昨日話した男子たちがもう顔を覚えたのか、ほぼ50メートルおきというか、おごらせたい&買わせたいため声をかけてきて大変である。3,4人を引き連れ適当におごってやるが、その中でとりあえず面白かったハリムと一緒に歌謡バーに行き、2時ごろまで歌えや飲めやの大騒ぎであった。タバコの煙がもうもうとくゆるなか、アラブ音楽におっさんどもが思い思いに躍り、またその親密な様子は大変に楽しい。覚えたばかりのステップで私も楽しく踊ってみる。そうだ、この旅で音楽をほとんど聴いていないことに気が付いた。BGMが町にないのである。これらの音楽はチュニジアの「南」のものだということらしいが、上方しかりナポリしかり、どこでも南は文化が盛んなのであろうか。トルコ音楽のように、ある楽節から急転直下の転調で物語が進行させられるわけではなく、旋律が重層的に続きながらどんどんと進行する。終止形はよく感じられず、さびのようなものも今になってはどうも思い出せないが、基本的にダブルリード系の音と共にえらく感傷的、かつ情熱的で、また部分部分にリズミカルな太鼓が入るのでノリもよかった。「開放的」な女性も一人、男友達に連れられ来ていたが、男ソーシャルの輪に入れてもらえず憮然としているのもまたマグレブ文化を見る上で面白い。

結果、飲んで気をよくして隣のテーブルにも少しばかりおごったり、都合20本以上のビール小瓶を注文したようで(それでも会計は3000-4000円ほど)、ハリムはもう酔っ払って吐いたりしていて、20歳の時の自分を思い出した。日本人は酒に弱いと思いがちだが、なんのことはない、酒はどこでも酒である。

翌朝の飛行機で帰宅。帰りながら思うに、南部の自然や砂漠を見る以外では、文化はすべてエジプトやフランスからの借り物で、遺跡も少ないこと、あと小額とはいえあちらこちらで感じられた拝金主義にもへきえきし、二度訪れることは無い国であろうと思った。その点しばしば訪れてきたトルコは、自身の文化が十分にあり、また金には関係ないプライドというか人の良さも感じられイスラム圏とはいえメッカにより近いせいか、チュニジアよりかなりすごしやすい場所であると感じる。

なお、イタリアでカトリックのことを知ると政治的な機能としてのその性質が見えて来て、宗教活動とまったく反対のベクトルのほうばかりに興味が行くが、トルコでイスラム教義を知り礼拝などを訪れてみると、こんどは宗教を軸としながらも自然としての人を治める機能をもっているのに興味が沸いてくる。
モスクで前に入れるのは男だけ、女は後陣の檻のようなところでまとまっているので最初はなんと男女不平等なことよと思って見ていたが、あるとき聞いてみると、礼拝のときにお尻が丸見えになるから危ないでしょとの答えに、なるほど訳があったのかと納得した。そしてその一方女は柵の合間から男をより好んみながら目配せしている光景もしばしばみかけたが、このように建前はともあれ、生活は「摂理」にのっとりながら存外に平等で合理的な部分も多いのである。イマームのよみあげるコーランの読経に揃って立ち座りするのも、ミサのあとに参加者が手を交差させるのと結局は同じく、共同体としての意識の作り方の表意のされ方の違いでしかないのかしらとも思われる。私は結局のところ物事の分析者として共感すれども当事者にはどうもなれない性格から、その内面は良くわからないのだがそんな雰囲気なのだけは見えてくる。

このように、イスラム圏に行くたびにいろいろと自分の立ち位置、さらにはナポリとの共通点(ナポリのいろいろな風習風俗はかなりの部分がアフリカ、アラビア圏からもたらされたものと確信している)について考えさせられることが多いので、来月の小旅行にはアルジェを予定したい。もちろんイタリア女もいたハーレムの文化が本当にあったのか見てくるオペラ史的な小噺を仕入れることを第一義としてしておく。

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チェスティの《愛の災難》(1667)@ピサ あとボローニャ学会後記

ボローニャでは、音楽図書館での複写のほか、1日半しか学会に参加できなかったが、それでも名店ディアナなどで食事をしたりと収穫はあった。

11月21日の午前中のセッションの中で記憶に残った発表を2点だけ記しておきたい。

ジュネーブの研究員クリスティーヌ・ジャンネレが発表したマリア・カヴァッリの役割についての研究発表は、フランチェスコ・カヴァッリの傍らですべてを筆写していた妻マリアの仕事の足跡をクローズアップするもので、いくつかの先行研究(ジェフリーなど)にみられる複数の筆写師の存在を否定するものであった。特に、《ヴェレモンダVeremonda》の筆写譜が「汚い」というわれているのは、ヴェレモンダの作曲前にマリアが没し、筆写してもらえなくなったため、フランチェスコ自身がなれない手で筆写をせねばならなくなったためであろうという結論も、マリアの他に筆写師がいなかった仮説を裏付けるものとなり、納得のいくものである。
 筆写師についての分析方法についても、時代は違えど私も学ばなくてはならないものであった。

 また、ボローニャ大学のニコラ・バドラートの発表は、カヴァッリ作曲、ファウスティーニ台本の《エウリポ》(1649)が、17世紀にイタリアでも広く流布していたスペインのロペ・デ・ベガ(1562-1635)の喜劇《La fuerza lastimosa》(1609)を下書きに作られたことを劇作法から丹念に読み解き証明する、見事なものであった。
50年ほど前にスペイン語で書かれた作品、(さらにまったく登場人物名は異なる)にその原作を見いだすことは、なかなかにできるものではない。18世紀になるとさらに台本作家はフランス語、英語の原作を取り込み喜劇を作り始めるが、いまその源流をたどれることができるものはごくごく一部である。その意味で、この研究発表は台本研究の方法のひとつの”雛形”として今後参考にしたいと思った。

あと、会場となるボローニャ大学演劇学部の構内では朝市が立っており、チーズや自家製ビール、さらには生きた鶏までが売られていた。学会会場の横で、市民のふれあいの場が普通にあるというのは、特に演劇学部校舎という性格からも好ましく思えた。

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さて、同日11月21日夕刻にピサに移動し、夜20時30分よりチェスティ作曲、フランチェスコ・ズバッラ台本Dramma giocoso morale《愛の災難Le disgrazie d'Amore》(1667)を見た。サンテティエンヌ大学で今年教授に昇格する友人のジャンフランソワ・ラタリコに招待してもらったので、彼と20時に劇場横のバーで待ち合わせ、ビールとフォカッチャを流し込み劇場。

指揮はカルロ・イパタCarlo Ipata、演出はステファン・メドカルフStephen Medcalf、衣装はマッシモ・ポーリMassimo Poli。歌手には、ヴィーナス役にマリア・グラツィア・スキアーヴォMaria Grazia Schiavo、アレグリア役にクリスティーナ・アルカリCristina Arcari、火山Vulcano役にフリオ・ザナージFurio Zanasi、アモーレ役にPaolo Lopez、吝嗇Avarizia役に、マルティン・オーロMartin Oro、私の大ファンのカウンターテナーのフィリッポ・ミネッチャも端役ながらも友情出演するなど、計13人の歌手が登場する大変贅沢な祝祭劇であった。

この作品は、ウィーンの皇帝レオポルト1世の結婚式のため、経費に糸目を付けず作曲された「ポーモ・ドーロ黄金のりんご」(1667)を作曲したアントーニオ・チェスティ(1623-69)と台本作家ズバッラの二人が、続いてウィーンで発表した作品であり、オペラ史的にみても非常に重要な作品である。

「モラルに基づくドランマ・ジョコーソ」であるが、基本的にはヴェネツィアの民間劇場で上演されていたオペラとほぼ変わらないと言ってよいであろう。
幕間のバレエについては、別の作曲家が作曲していることから楽譜が残らず、演奏ができないことから、通常のオペラ上演では省かれるのが常であるが、今回、指揮者のイパタがウィーンでの上演用に作られた筆写譜を発見したことから、これもあわせて演奏された。このバレエ部はシュメルツァーによる作曲である。

まず感想を述べるなら、私が見た今年のオペラのうち1,2位を争うすばらしいものであった。
現代演出ながら、台本にこれほど忠実で原作の持つ喜劇性が露になったのにまず驚かされる。しかも全員の歌唱技術が一定水準以上であるばかりでなく、役柄とよくあっており、17世紀のオペラがこのレベルにまで上演できるようになったことに感服した。

アレグリアによるプローロゴの後に始まる本編のあらすじは、第1幕では、夫婦となっている「ヴィーナスVenere」と「ゼウス扮する火山Vulcano」。ヴィーナスは、汚い火山生活がもうたくさん、「愛」のせいで間違った結婚をしたと言い争いをしている。そこに”子供”の「愛Amore」が、(演出上で、天使のような羽を少しばかり張り付けたアメリカ風のスポーツ衣装を着て、自転車に乗って)留めに入るが、母親じゃないから家出をしようと母「ヴィーナス」の貴重品を持って出て行こうとする。箱の中に入っている高価な化粧品やら、金目のものやらが入っており、「愛」は、もっと金をよこせと言い立て家出する。
なお、「愛」役には、最初ジャルスキーが呼ばれていたらしいが、予定が埋まっていたこともあって新人パオロ・ロペスが歌っている。彼のことは2年ほど前、D.スカルラッティの《オッターヴィア》のインテルメッゾに出演していたのでその才能を知っていたが、喜劇役をやらせたら彼ほどすばらしい歌手-役者もいない。ジャルスキを持ってくるより何倍もよかったと思っている。(だいたいジャルスキーはフランスでこそ人気だがイタリアでは酷評されているし、実際オペラに出演していないでしょう。)パオロはこの作品が主役デビューだということだが、今後が楽しみである。

そして、母ヴィーナスは、「愛」の行方を追うため、火山と離婚して家を出てゆく。「火山」も自分の下で働くキュプロクスたちに、いつかえるか分からない旅にでると言い残して、二人の後を追う。

ここから、3人の巨人「チクロペ」たちによるインテルメッゾが始まる。
最初、仕事はまかしておいてくださいというのに、主人が言った後は、酒とカードゲームに興じ始める。そこからどたばたが始まり、”グロテスク”なバレエが始まり幕となる。

第2幕、逃げ出した「愛Amore」は、森の中で「欺瞞Inganno」と「追従Adulazione」の網(当時、網は悪徳の象徴とされていたため、愛は悪徳に誘惑されそうになったという象徴が見える。)にひっかかって(舞台上では網としてサッカーゴ-ルが登場)、捕まえられ、身包みはがされ「愛の矢」まで取られる。そこで、舞台は「吝嗇Avarizia」が経営するホテルに変わり、「愛」が到着する。

ここでは、愛に好意を持つ「友情Amicizia」もチェックイン、その後、ちゃらい人に扮する「欺瞞」と「追従」もこのホテルに到着し、さらなるたくらみを練りはじめ、「吝嗇」や「友情」に奪った愛の矢をあてて、彼女らの気持ちの変化を楽しんでいる。
ここでの主役が、ぼろをまとったホテルのおかみ「吝嗇」である。金にうるさい婆役を、アルゼンチン出身のカウンターテナーのマルティン・オーロMartin Oroが見事演じた。その身のこなしは、根っからの役者であり心に残るものであった。「若いころは(胸ももっとあって)きれいだったのにいまやこの体たらく」というアリアなどでの演技は、 ナポリの名カウンターテナー、ピーノ・デ・ヴィットーリオにつながるものである。

同じくバレエをはさみ、3幕。「ヴィーナス」と「火山」が長旅の末、ようやくホテルに到着し、「愛」との再開を果たす。いろいろあり、 「欺瞞」と「追従」の身分がばれ追放されると、あれよあれよというまに、みな大団円。

300年前なのに、内容があまりにも現代的であることに驚く。「愛」の間違いのせいで「離婚になった」というくだりなども、物語を超えた部分できわめて本質的であろう。詩の韻と動きとチェスティの音楽もよく対応しており、レチタティーヴォでとても楽しめる。モンテヴェルディの作品もそうだが、これほど17世紀のオペラが楽しいと思ったことは実ははじめてであった。

このオペラのCDが ハイぺリオンHyperionから出版され、年明けごろより発売開始とのこと。会場に来た人だけに先行販売だった。ジャケットには、録音会場となったトスカーナの個人の邸宅のフレスコ画で、ヴィーナスとアモーレが主題となっている絵が配されている。

終演後、バンケットで歌手たちに挨拶し、その後はアルゼンチン人とチュニジア人が大勢いたバーにて3時ごろまで飲む。
翌日、ピサの名店ダ・ブルーノに歌手のフィリッポ・ミネッチャと一緒に行き、顔ほども大きなポルチーニ茸をよい具合に焼いてもらう極上の皿と、乳飲豚を食べ、将来の仕事などを話す。レストランで近くにいた大阪出身の旅行者を誘い一緒に同上オペラのマチネ公演を見に行く。
夜は大阪の彼と一緒にリヴォルノで食事をしようと思い港町リヴォルノをうろつくが、本当に寂れた様子なのでピサに戻り、もう一点の名店で、アンテノーリの名ワイン、ティニャレッロTignanelloにあわせて、鱈ソースの生パスタ(ピチ)の後、ダマ鹿(バンビ)とイノシシの煮込み、梨とショウガのジェラート、チョコのスフレなどを食べ、秋のトスカーナを満喫する。ダマ鹿ははじめて食べたが、鯨の赤身のあたりに似た味だと思った。0時50分発の深夜列車の一等車に乗り込みナポリに朝到着。

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「サッジャトーレ・ムジカーレ」第13回年次大会@ボローニャ(11月20-22日)+チェスティのオペラ@ピサ(11月21日)

<今日3本目の記事>
イタリアの音楽学会は15年ほど前に分裂して、ローマ大学を中心とする「南組」が「イタリア音楽学会SIdM」、そしてボローニャ大学を拠点とする「北組」が「サッジャトーレ・ムジカーレ」と、それぞれ別組織として生まれ変わりました。
南は北を「怖くて冷たい」といい、北は南を「馬鹿の仲良し組」といってそれぞれいまだに反目しあっています。実際、北にはビアンコーニやペシテッリなど、オペラ史研究の現在の枠組みを作った人たちが中心にいることもあり、レベルが高い(ように見えます)。しかし、その構図とこき下ろし方は、それぞれに所属する音楽学者の気質や能力の問題というより、すべての文化、政治活動に共通に見られる南北対立がそのまま反映されている類の悪口でしかありません(と思いたい)。
私は研究も拠点も南なので、当然のごとくSIdMに入って仲良くしてもらっていますが、反対に北のサッジャトーレは1度しか覗いたことがなく、その閉鎖的とも言える雰囲気に飲まれたまま、どうもこれまで縁があまりありませんでした。しかし、来年度に帰国することになりそうなので、今年は忙しい中を縫ってなんとか参加することにします。

日程は、11月20-22日、ボローニャ大学演劇学学部 

個人発表もそれなりに面白いですが、2つのラウンド・テーブルのうちの一つは、「16世紀の西洋音楽をどのように学び、解読し、購入するか」 Imparare, leggere, comprare musica nell’Europa del Cinquecento
というテーマで大変そそられます。これは、 フランコ・ピペルノ、ケンブリッジ大学のイアン・フェンロンなど「本物」の専門家がやってくるので、彼らの専門的問題をどのように一般的なテーマへと話をおろしていくのか楽しみです。

さらに、11月21日の”中日”には、学会には全く関係ありませんが、ピサでチェスティのオペラ《愛の不和Le disgrazie d'amore》(1667) が復活初演されます。 http://www.coopfirenze.it/eventi/eventi/4366
私は、前々からちょうどサン・テティエンヌ大学准教授で、17世紀の台本作家、ブザネッロを専門にする友達のジャンフランソワ・ラタリコに招待されていたので日程的にとても助かりました。

両者関係ない組織なのに、21日午前中のサッジャトーレの学会のプログラムを見てみると、なんとチェスティと同時代のことがらみのセッションで、明確に両者は「プログラミング」されている模様。こういう離れ業ができるのも、オーガナイザーも参加者も皆ほとんど限られた人がやっているというパイの小ささのせいからです。

なお、上のフランソワとはこのあいだパリかナポリで会って以来、もう長らく会っていませんが、来年3月上旬には彼氏と来日(旅行)するらしく、ピサでは京都旅行の打ち合わせになりそうな予感。私が日本に帰ったら、ずいぶんと人が訪れてくる予定で、相手変われど主変わらずを地でいきそうです。

研究発表に目を通すと、ナポリつながりの友達で、今レッチェ大学で博士執筆中のサラ・イヤコノなども史料研究についての発表しますが、ドニゼッティからヴェルディ、マスネ、マーラと、南のSIdMがどちらかというと南イタリアの音楽史料を中心に扱うのに対し、こちらでは内容も結構北系、さらに言うと美学に近いようなものもぼちぼち目立って両学会の性格の違いが浮き出ています。

そういえば、イタリアで音楽美学というと、トリノとローマ第3大学そしてボローニャぐらいじゃないと取れない科目(というか専任教員がいない)んじゃないでしょうか。こちらでは、文献学的手法が主流の音楽学の分野に、美学の人が入ってくることはなく、双方のディシプリンのすり合わせというかそのへんの問題はほとんど起きないように見えます。


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http://www.saggiatoremusicale.it/attivita/2009/colloquio_prog.php
http://www.saggiatoremusicale.it/

Bologna, 20-22 novembre 2009

Alma Mater Studiorum - Università di Bologna
Dipartimento di Musica e Spettacolo
Manifattura delle Arti
via Azzo Gardino 65

Organizzazione:
«Il Baule», ℅ Dipartimento di Musica e Spettacolo
via Azzo Gardino 65, Bologna
tel. 051 2092414/15/18; fax 051 2092417


■11月20日午前 Venerdì 20 novembre, ore 11.15-13
Auditorium

Prolusione

Juan José Carreras (Saragozza)  18世紀のオペラ研究者
Attualità della filologia: Higini Anglès
e la musicologia tedesca tra le due guerre

Relazioni libere I

●Francesco Finocchiaro (Bologna)
«Comporre è pensare in note e ritmi»:
sul concetto schönberghiano di ‘musikalischer Gedanke’

●Gaia Varon (Bologna)
Henri-Georges Clouzot e Herbert von Karajan:
una Quinta fra tempo e spazio

■11月20日 午後 Venerdì 20 novembre, ore 15-18.30

Tavola rotonda I

●ラウンドテーブル
A ciascuno il suo:
diritto d’autore e diritti connessi in campo musicale

Coordina
Fabrizia Serpieri (Bologna)

Relazione di base
Sveva Antonini (Bologna)
Raffaella Pellegrino (Bologna)

Intervengono
Stefano Baia Curioni (Milano)
Cristiano Ostinelli (Milano)
Sandro Pasqual (Bologna)
Alessandro Roccatagliati (Ferrara)

■11月21日 Sabato 21 novembre, 9.30-13

Relazioni libere II

Presiede
Andrea Chegai (Siena-Arezzo)

●Davide Daolmi (Milano)
Una nuova trilogia monteverdiana

●Christine Jeanneret (Ginevra)
Maria Cavalli: all’ombra di Francesco

●Nicola Badolato (Bologna)
“L’Euripo” di Faustini e Cavalli:
dalle fonti all’intreccio

●Nicola Michelassi (Pisa)
La prima tournée del “Giasone” di Cicognini e Cavalli (1649-1653)

●Gennaro Tallini (Lugano)
Riflessioni in margine al “Discorso sopra la musica de’ suoi tempi” di Vincenzo Giustiniani (1628)

●Bianca De Mario (Siena-Arezzo)
Salde querce ed ombre mute: istanze drammaturgiche di un’opera pergolesiana

●Maruxa Baliñas (A Coruña)
La pastoral para sexteto: la auténtica segunda edición de la Sexta Sinfonia de Beethoven


■11月21日午前 Sabato 21 novembre, 9.30-13
Teatro

Relazioni libere III

Presiede
Cesarino Ruini (Bologna)

●Mauro Casadei Turroni Monti (Udine-Gorizia)
Le ‘premesse’ al Liber cantus carolingio

●Daniela Castaldo (Lecce)
Eracle musico: riprese rinascimentali di un’iconografia classica

●Francesco Rocco Rossi (Milano)
Val più la pratica o la grammatica? Il “Liber musices” per Ascanio Sforza

●Constance Frei (Ginevra)
L’archetto del violino e la cassa del tipografo

●Guido Mambella (Bologna)
Dal “Compendio di musica” alle lettere (1619-1650): la traduzione italiana

●Margherita Canale Degrassi (Trieste)
Nuovi apporti al catalogo tematico di Tartini

●Xoán m. Carreira (A Coruña)
Antonio Pacini e la recezione della musica strumentale di Beethoven a Parigi intorno al 1823

■11月21日 午後 Sabato 21 novembre, 15-18.30
Auditorium

●ラウンド・テーブル Tavola Rotonda II
 Imparare, leggere, comprare musica nell’Europa del Cinquecento

Coordinano
Paolo Cecchi (Bologna)
Iain Fenlon (Cambridge)

Intervengono
Franco Piperno (Roma)
Amedeo Quondam (Roma)
Kate Van Orden (Berkeley)
Richard Wistreich (Newcastle Upon Tyne)


■11月22日 午前 Domenica 22 novembre, 9.30-13
Teatro

Relazioni libere IV

Presiede
Alessandro Roccatagliati (Ferrara)

●Sarah M. Iacono (Lecce)
Da Pirro ad Arianna: un caso di studio tra le raccolte di cantate e arie del Conservatorio di Napoli

●Chiara Sintoni (Bologna-Bolzano)
I trattati pianistici prima e dopo il 1800:
tra didattica, sociologia e organologia

●Milijana Pavlovic (Ferrara)
Un abbozzo sconosciuto della Terza di Mahler

●Anna Ficarella (Roma)
Mahler interprete “wagneriano” di Beethoven: storia di una recezione controversa

●Giangiorgio Satragni (Torino)
Fra il calco e la parodia:
le raccolte “à la manière de...” di Alfredo Casella

●Claudia Di Luzio (Berlino)
Drammaturgia di suono e spazio nel teatro musicale oggi

●Andrea Garbuglia (Macerata)
“Stripsody”: la vocazione musicale delle strisce a fumetti


■11月22日 午前 Domenica 22 novembre, 9.30-13
Auditorium

Relazioni libere V

Presiede
Marco Beghelli (Bologna)

Annette Kappeler (Costanza-Berna)
Claudio Bacciagaluppi (Friborgo-Berna)
Liberalità elvetica e disciplina patriarcale:
un contributo “gender” su un soggetto di Goethe, Scribe e Donizetti

●Claudio Vellutini (Chicago)
Adina “par exellence”: la tradizione esecutiva viennese dell’“Elisir d’amore” di Gaetano Donizetti

●Céline Frigau (Parigi)
Un bolognese a Parigi: Domenico Ferri scenografo del Théâtre-Italien (1829-1851)

●Michele Curnis (Torino)
«Il velame del futuro»: una tessera dantesca nel “Macbeth” di Verdi

●Miriam Tripaldi (Chicago)
L’inizio della collaborazione artistica tra Giulio Ricordi e Giuseppe Verdi

●Marco Gurrieri (Pavia-Cremona)
Il tavolo di Manon: occorrenze feticistiche nel teatro di Jules Massenet

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スペイン副王統治下のナポリの宴に関する国際学会@ナポリ(11月4-6日)

在ナポリ・スペイン文化会館セルバンテス主催で、ナポリ古楽研究所ピエタ・デイ・トゥルキーニは、「スペイン副王のセレモニーと宴」に関する国際学会を開催しました。

リンク  http://www.turchini.it/centro/attivita_scint_Cerimoniali.cfm

歴史、美術関係の発表が中心となりましたが、この学会では音楽学が重要な位置を占めています。

音楽学の人間をあげてみると、一応どこにでもナポリの顔として出席するナポリ大学のマリーホーファー教授、(ちなみに今のナポリで私が在住しているアパートの家主の奥さんの姉?)、および、同じくナポリの顔で副王下の劇場研究でもいろいろ著作のあるパオロジョヴァンニ・マイオーネ、プロヴェンツァーレはじめ、そして、まさにこのテーマが専門のディンコ・ファブリス師、スペインのコンプルテンセの博士執筆中の友人、ホセ・マリア・ドミンゲス、それから、大分前から知っているハーバード大学のルイズ・シュタイン教授、パレルモ大学で17世紀のカンタータの専門家、アンナ・テデスコ先生など。
私は同日ISMEZとの会合のため、発表そのものには不参加ながらも、最終コンサートとビュッフェのみ楽しく参加しました。

発表論文集は来年に出版されるので、興味ある方はトルキーニ古楽研究所まで連絡されたし。

なお、セルバンテスの館長はまだ30台ぐらいで本当にびっくりしました。当時のスペイン副王も、こんな感じで本国から若い貴族が送られてきたんでしょうか。

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Cerimoniali e Festa nella corte vicereale
secoli XVI e XVII Convegno Internazionale di Studi 4-6 novembre 2009

Prima sessione:
04/11/2009
h. 16:30 a 18:30
Luogo: Instituto Cervantes - Auditorio, Via Nazario Sauro, 23

Presiede: Luis Miguel Inciso
Carlos Hernando Sánchez ¿Una corte sin rey? El ceremonial como lenguaje político y la imagen del poder vicerreal en Nápoles entre los siglos XVI y XVII
Aurelio Musi Ideologie del potere nell'azione dei viceré spagnoli di Napoli
Manuel Rivero La justicia del virrey: ritual y autoridad en las ejecuciones públicas del siglo XVII. Una comparación entre Palermo y Nápoles
Elisa Novi Chavarria Cerimoniale e ptratica delle visite tra arcivescovi e viceré

Seconda sessione:
05/11/2009
h.10:00 a 12:30
Luogo: Chiesa dei Santi Marcellino e Festo, Largo S. Marcellino 10

Presiede: Maria Antonietta Visceglia
Giovanni Muto Struttura e costi della corte vicereale napoletana
Isabel Inciso Imágenes del poder: la fiesta real y cortesana en la Nápoles del siglo XVII
Vittoria Fiorelli Il soggiorno napoletano di Marianna d'Austria nel 1630Antonio Ernesto Denunzio Caratteri e forme dell'ospitalità alla corte dei viceré nella prima metà del Seicento


Terza sessione:
05/11/2009
h. 16:30 a 18:30
Luogo: Castel Nuovo, Piazza Municipio

Presiede: Luis Ribot
Attilio Antonelli I libri di cerimonialli del Palazzo reale di Napoli
Teresa Megale Teatro e spettacolo nella Napoli vicereale modelli e ritualità
Paolo Mascilli Migliorini La influencia de ceremonial en la arquitectura de Palazzo Reale
Diana Carrió-Invernizzi La presencia de las virreinas en las fuentes documentales sobre la fiesta y el ceremonial en la corte de Nápoles

Quarta sessione
06/11/2009
h. 10-12.30
Luogo: Biblioteca Nazionale di Napoli, Piazza Plebiscito

Presiede: Marina Mayrhofer
Angela Fiore - Cerimoniali musicali al Conservatorio della Solitaria
Paologiovanni Maione -Allegorie ispaniche nelle cantate gennariane
José María Domínguez- Ópera y fiestas musicales en Madrid y Nápoles durante el virreinato de Medinaceli

Quinta sessione:
06/11/2009
h. 16:30 -18:30
Luogo: Biblioteca Nazionale di Napoli, Piazza Plebiscito

Presiede: Rosaria Maria Gonzalez Martin
Louise Stein Carpio's opera patronage in Naples
Adolfo Carrasco Ceremonial y teoría política de la monarquía barroca
Dinko Fabris La Real Cappella di Napoli nell'età spagnola: musica e cerimoniale
Angelantonio Spagnoletti Cerimoniali napoletani di investitura dei cavalieri degli ordini militari-cavallereschi

06/11/2009
h. 18.30
Luogo : Castel Nuovo, Piazza Municipio

Presentazione del volume
AA. VV. España y Nápoles.
Coleccionismo y mecenazgo virreinales en el siglo XVII
Centro Estudios Europa Hispánica
Partecipanti:
José Luis Colomer
Giuseppe Galasso

06/11/2009
h. 20.00
Concerto conclusivo
Luogo: Chiesa di Santa Caterina da Siena
Centro di Musica Antica Pietà de’ Turchini

Tra Napoli e Madrid
Musica strumentale durante il Viceregno spagnolo
Musiche di Falconieri, Trabaci, Cabezon, Scarlatti, De Castro.
Ensemble L’Amoroso Affetto

Ente Organizzatore
Instituto Cervantes (Nápoles)

Collaboratori
Embajada de España (Italia)
Centro de Estudios Europa Hispánica (CEEH)
Sociedad Estatal de Conmemoraciones Culturales (SECC) (España)
Ministerio de Cultura (España). Dirección General del Libro, Archivos y Bibliotecas
Sociedad Napolitana de Historia Patria (Nápoles) / Società Napoletana di Storia Patria (Nápoles)
Universidad Federico Ii de Nápoles / Università Federico II di Napoli
Biblioteca Nacional de Nápoles / Biblioteca Nazionale di Napoli
Centro di Musica Antica Pietà de’ Turchini

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大阪とローマでの音楽学会後記 

日本での各種用事をどっと済ませた後、イタリアに戻り、1日ナポリの家で寝た後、翌日ローマに移動する。

帰国中には、阪大でのシンポジウムなどのほか、かに、すし、新宿の貝の専門店、京都五条のお麩の専門店、梅田のお好み焼き、など重点的に和を楽しんだ。

メンデルスゾーンをテーマとするシンポジウムに参加したので、付け焼刃ながら新しく勉強することが多かったが、ロッシーニ以降からドニゼッティにかけて、あまりにも情報量と作品、そして史料が多く、これは一生かけてもどうも足りないと感じているところである。

日本では、ベートーベンとロッシーニ以外に特に取り上げるべき作曲家がいないかのようにさっさと流されてしまっている19世紀初頭のナポレオン~王政復古時代の音楽史ではあるが、なんのなんのなんの、18世紀の遺産を受け継ぐ膨大な(オペラ)作曲家の膨大な仕事と、またそれに取り組む音楽学者が山のようにいて(といってもベートーベン研究の100分の1ほどの人数で、100倍以上の作品群を相手にするのだから大変不十分なのが実情であるが)、現在それなりに重層的な研究が確立されている。

そのようなわけで、いまさら私の出番は特にないかしらとあえて近寄ってこなかったが、ナポリ派からヴェルディへ、言い換えるとナポリからミラノ、さらには各国の”国民楽派”へとオペラの拠点が拡散しはじめる現象全体を連続体としてみるとき、19世紀初頭の時代こそが今後オペラ史で特に解明されなくてはならないテーマになろうと考えており、とりわけ1800-20年代、ドニゼッティ、ベッリーニの前、そしてロッシーニに隠されてしまってきた多数の作曲家(トリット、ヅィンガレッリ、パルマ、マイール、パヴェージ、ファリネッリ、コッチャ、グリエルミ息子、そしてフィオラヴァンティ父子などなど)たちと作品に興味を持っている。

一部の誠実な著作を除き、書店に並ぶようなオペラ(史とはいえない評論まがいの案内書)の本をちらちら覗いてみると、18世紀と19世紀で(その間の連続性が意図されないまま)章立てが変わるのはまだ良いほうで、モーツァルトの「フィガロ」か「魔笛」の後にいきなりベートーベンの「フィデリオ」を配置して、「人間賛歌」とかわけの分からないお題目のようなテーマのもと、いきなりヴェルディに続く19世紀のオペラの概説がはじめられたりしていることもあったり泡を吹くことがある。この時代のオペラを、録音があるものだけで点描しようとすることは土台無理であるどころか、それがあまりにも偏向していて危険ですらある。

大体、よく取り上げられる「魔笛」にせよ「フィデリオ」にせよ、文化的政治的領主のフランスを向いていたイタリア人(ドゥーニ、ピッチンニ、パイジェッロ、そしてスポンティーニ、ケルビーニなどなど)による、イタリア人によるフランス風グランド・オペラと、イタリア式宮廷オペラ・セリア、これらイタリアとフランス文化に完全に立脚していたドイツのオペラ事情を概説した後、そこからの距離を示すという視点からでないと、作品紹介以上の意味はないと思うのである。

さてそんな漠然とした憤りもあって、私の発表はこのような歴史的コンテクストの上にメンデルスゾーンのオペラ(とその遊離?)を位置づけてみようという試みだったのだが、途中、ウェーバーの「魔弾の射手」を「いしゅ」と読んでいたらしく、終了後方々からその指摘をいただいた。頭では分かっているのに口が勝手に違う言葉をしゃべっていたようで、指摘されてもあまりに人事のような気分で、恥ずかしいという感情にさえ至らない不思議な感覚を味わったが、ゆえに、A総理の読み間違えとそれでもゆるぎない彼の態度がやっと理解できるような気がした。ともあれ、みんな人の言葉を良く聞いてくれているのかはたまた聞いてくれていないのか良く分からない不発感の少し残るセッションではあったが、個人的にはパネルの吉田氏の論旨(当日になってやっと理解できた)が面白いかったので良しとしたい。

さて、そんなかんやで大阪での大会が過ぎたが、日払い(日給月給ではなく日割り計算で給与支払い)の研究生活のため、すぐにナポリに戻り、今度はローマのパルコ・デッラ・ムージカで開催されたイタリア音楽学会の全国大会に行く。

今回の宿はゲットーのど真ん中、そこそこ名店といわれるレストラン「ジジェット」の脇の中庭つきの小アパートで、なかなかにかわいらしい。

以下、いくつか聞いた発表を勝手に評してみたい。
●先の記事で紹介したミラノの劇場研究のマッテオ・マイナルディMatteo Mainardiは来ず、フィリップ・ゴセット教授の代読であった。しかし、史料があって研究をしなくてはならないという研究概略の発表で、肝心の中身についてはさほど以前から進展がないように見受けられ残念であった。たぶん彼の性格からして史料の出し惜しみだろう。

●また、ヴェネツィアの喜劇の台本に見られるフランス趣味の問題を扱ったアルマンド・イヴァルディArmando Daniele Ivaldiは、発表しながら関連BGMを裏で流すという完璧に準備された発表であったが、ナポリの喜劇におけるフランスの問題をさておき結論付けているため、内容は薄く納得しがたいものであった。

●ロッシーニのブッファの引用、転用の問題を扱ったマリア・ビルビリMaria Birbiliについては、フランスとドイツでマスターをとってイタリアで博士執筆中?だかの経歴から少しだけ期待をしたのだが、終了後、ゴセット教授から2つの論文にすべて書かれてあることだからそれを読めと窘められただけで、質問もなくその場で本当に終了してしまい場が凍った。よくもまぁあれで発表の場に出てくるものだと感心した。

●Daniela Macchioneの発表は、オークションにおける音楽史料の価値の高さについてまとめたものである。
私自身もこのあいだサザビーズに入札したり積極的にチェックしているので、アクチュアリティを持って聞いた発表であった。最後フィリップ・ゴセット教授は、シカゴ大学がすすめるドニゼッティ、ベッリーニ、ロッシーニ史料のオークション落札カタログ(さらにオンラインで確認できる)を作っているとのコメントがあったが、たしかにそうしなければ史料は散逸してしまうばかりである。

そういえば、今パリの某書店で、レオナルド・レーオの自筆オラトリオ、しかもこれまで未発見のもの!!のスコア!がまとめて売りに出されていると連絡があったばかりである。売値は2万ユーロ(250万)程度で大変安いと思われる。しかし、レーオの生地サン・ヴィート・デイ・ノルマンニに掛け合わせているが、それでもどうも難しいようだ。是非心ある施設に買われてほしい。ヴェネツィアのチェスキーナさんのようなメセナ人たちには、目立つ大コンサートへの寄付ばかりではなく(どうせチケットが売れるのだし)、こういう細かいながらも大切な音楽史料の購入や研究出版助成へも目配りしていただきたいものだと思っている。

●一方、ティツィアーナ・アッフォルトゥナートTiziana Affortunatoによるセレナータ再考は、きわめて興味深いものだった。そもそも17世紀から18世紀にかけては、高位の身分の者が主催するパーティー、催しでの正演目を意味し、「オペラより格式が高いオペラ的な演目」がセレナータの第一義であったが、19世紀になると「ノットゥルノ」と同義と規模の小さいものへと意味するものが変遷していったあたり、歴史的用語と内容の変化を実証し、さらには、同様のことが、カンタータについてもあることを浮き彫りにするものであった。そういえば何気なく使っているカンタータも、1曲も5分のものから2時間を超えるオペラ的なものまでいろいろあり、よく整理されてきていなかったのも事実である。

●ルカ・デッラ・リベラLuca Della Liberaは、スカルラッティのセレナータ「秋の栄光」の初演、そしてロンドン上演、そしてその内容を分析するものである。セレナータが、ロンドンのオペラ劇場で再演されていたというのも興味深いが、さらに擬人化された春夏秋冬のうち、「秋」のみが、「水」を表現する歌詞とともに、水が流れるような音楽がつけられているとの指摘はそうかとびっくりさせられた。ほかにもいくつか例があるようだが、どうも気をつけてみてみたいと思っている。(谷とか森はよく象徴されながら使用されるのだが、水は考えたことがなかった)。そして締めくくりとして、このセレナータは、2011年、ビオンディによって世界復活初演されるとの報告があり、なるほど、彼の発表はその校訂報告でもあったのだ。これぞザ・音楽学の仕事であろう。

●ローマ大学で博士論文執筆中のミケーラ・ベルティMichela Bertiによるアルジェンティーナ劇場で上演されたフランス王子誕生を祝うヨンメッリの舞台作品に関する発表も面白かった。大使の残す公式な記録は大変「外交的に処理されて誇張されてうまくいったと書かれているだけではないか」と疑問が寄せられていたが、確かにそれもそうだろう。1000本の蝋燭がともされオペラが上演されたというのだから、貴婦人のドレスのレースがいくつ燃えたことか、珍事件も種々あったはずである。

●在イタリア・ドイツ文化会館のプロジェクトで、ローマの貴族のプライベート図書館(Biblioteca Massimoなど)に残されるオペラ楽譜コレクションの調査と、デジタル化報告を行ったロランド・プファイファーRoland Pfeiffer博士(といっても同い年)の発表は興味深かった。これらの楽譜のデジタルコピーは現在ドイツ文化会館において閲覧できるらしいが、そのうちネットにアップされるそうで、とりわけ1790-1820年のオペラ研究にとって朗報である。

●ローマ大学で博士論文執筆中のパオロ・スッロPaolo Sulloは、ナポリ音楽院に残されるソルフェージュの検討を行うもので、和声、声のテクニックなどそれぞれの”用途”別に分類するものであったが、どうも丁寧ながらも面白さのない発表であった。

会場では、あのナショナルエディションのストラデッラ全集が半額以下セールをしていたので、オペラ2作品分を購入したら、それだけで5キロを超える大荷物。ほかにP.A.グリエルミに関する国際学会の論文集、ディンコ・ファブリス師によるデンティチェの校訂譜、ポルポラのパッシオーネ、モテットの校訂譜、前々からほしいと思っていたローマのアーカイブに基づく大部の学会報告書など購入。しめて200ユーロほど。
*Carolyn Gianturco - Patrizia Radicchi (eds), P.A.Guglielmi, Musicista italiano nel Settecento europeo, Pisa, Edizioni ETS, 2008
*Stefano Aresi (ed), Nicola A.Porpora, Sei duetti latini sulla Passione di Nostro Signore Gesu Cristo, Mottetti per Angiola Moro, Pisa, Edizioni ETS, 2004
*Dinko Fabris, Da Napoli a Parma, itinerari di un musicista aristocratico, Opera vocali di Fabrizio Dentice 1530-1581, Roma, Accademia Nazionale di Santa Cecilia, 1998
*Bianca Maria Antolini-Arnaldo Morelli-Vera Vita Spagnuolo (eds), La musica a Roma, attraverso le fonti d'archivio, Atti del convegno internazionale, Roma 4-7 giugno 1992, Lucca, LIM, 1994


これらの本を買った後、大阪の学会でなにやら大学における音楽学の役割というセッションがあったことを思い出した。イタリアの音楽学は、歴史学が中心となり、そして音楽分析を内包する音楽研究分野であるとの共通認識がある。そして、音楽学者の第1の仕事は、校訂譜の作成であることも共通認識にある。

会場か打ち上げか、私もそういうイタリアかぶれを十分承知の上で、演奏家にこびずに楽譜を作れっていれば良いのだというような趣旨の発言をしたところ、思想寄りの仕事をしている人には意味が伝わらなかったのかどうも反感を買ったような気配であった。
この場で私の真意をはっきりさせておきたいが、楽譜(校訂譜)を作るということは、現存する史料の特定、分析、それらの関係を明らかにし(文献学)、さらには紙、インク、筆跡、記譜法、さらには使用楽器、演奏法、出版事情、そして曲の需要、そして演奏、上演という社会史的側面、これらをすべて従える最終作業と考えるべきなのである。
日本での音楽学は、どうもこのところ広がるのが良いという風潮でなんでもありにはなっているが、広げること自体目的になっているようで、反対に、楽譜という収斂すべき対象をより多角面から検証するための「広がり」としてそれら手段が認識されていないところに問題があるような気がしているということを私は言いたかったのである。
どちらにせよ、そろそろコンサヴァ思考へのゆり戻しが強く来るような気がしている。


●さて、学会を終え、2泊ナヴォナ広場近くのアパートに延泊する。

最近どうもローマという町が楽しくてしょうがない。考えてみれば、その昔は朝から夕方まで作業をして日帰りか、駅前の汚いところに宿をとってさっさと帰るというパターンだったため、夕方や夜の旧市街を良く知らなかっただけのことである。
そのようなわけで取り返すかのように旧市街やら古物商をくまなくめぐり、ゲットーやトラステヴェレの名物食堂などに通う。メタスタジオの石像に見下ろされながら、ヴァッレ劇場を訪ね、カプラニカ劇場でやっていたオールナイト?映画祭ではイスラエル映画を見る。そしてナヴォナ広場近くの版画屋では、18世紀のアルジェンティーナ劇場の内部スケッチ(手書き)を購入する。18世紀の劇場内部のスケッチは非常に珍しいが、それが300ユーロを値切って270ユーロで買えたものだから大きな収穫であったと言えよう。

その他、17世紀のオリジナルのナポリ製の額(600ユーロ)、18世紀のサヴォイア王の肖像画(15000ユーロ)、ファウストが悪魔に魂を売る絵(1000ユーロ)、16世紀の彫刻がすばらしい額(5000ユーロ) など、ほしいものが次々と出てきたが、とりあえずは、かねがね新調したいと思っていた格好よいめがねを、偶然通りかかった職人街にある大層素敵な眼鏡屋で購入して新年度の気分を先取りした。


結論として、田舎勉強より京(ローマ)の昼寝 は誠に真なりということであった。

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