アレッサンドロ・スカルラッティ記念祭@ヴェネツィア(速報)

ヴェネツィアの音楽文化の一翼を担うレーヴィ財団は、音楽研究事業への援助に特化しており、コンサート、ならびにいつもながらすごいボリュームの研究書の出版しているが、今年の2月にはアレッサンドロ・スカルラッティの宗教曲に関する学会+コンサートを行うことになったとの知らせがあったので、ここに報告する。

アレッサンドロ・スカルラッティの生誕350年という記念年にもかかわらず、パレルモ大学も結局学会をやるのかやらないのかまだもって不明で、これが今のところヨーロッパで唯一の記念行事である。ペルゴレージと並ぶ、いやそれ以上の影響力を持っていたのに、残念なことである。

公式サイト: http://www.fondazionelevi.it/musica.html
        http://www.fondazionelevi.it/docs/seminari/Calendario_attivit%e0.pdf

まだ学会はオーガナイズ中らしく、公式サイトにも予定すら公表されていないが、とりあえずやるということなので続報を待たれたし。

●学会 「A.スカルラッティの宗教曲」
日時:2010年2月17日 午前中から
参加者:ディンコ・ファブリス他 

●コンサート:
日時:2010年2月17日 20:30より
場所:サンタ・マリア・フォルモーザ教会
曲目:「聖週間のための音楽」
Alessandro Scarlatti (1660-1725)
350°Anniversario della nascita
Musica policorale
Musica per la Settimana Santa

ソプラノ: ヨハンナ・キスロウスカ Joanna Kislowska, Susanne Rydén, soprano
コントラルト: ヤコポ・ファッキーニ Jacopo Facchini, controaltista
テノール: クリスティアン・クルゼスゾヴィアク Krystian Krzeszowiak, tenore
バス: マッテーオ・ベッロット Matteo Bellotto, basso

古楽オーケストラ・ミッテエウローパOrchestra barocca e Coro della Mitteleuropa
指揮 ロマーノ・ヴェットーリ Romano Vettori, direttore

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ペルゴレージ国際学会 第1弾(ナポリ、2010年1月28-31日)

これまで何度も書いたが、2010年はペルゴレージ年で、ナポリ、ミラノ(5月20-21日)、ローマ(9月9-10日)、ドレスデン(11月12-14日)、東京(11月)でそれぞれ国際学会が予定されている。

その第1弾として、2010年1月28日から31日にかけて、ナポリ古楽研究所ピエタ・デイ・トゥルキーニ(ペルゴレージ財団との共催)において大規模な国際学会が開催されるので、ここに総合プログラムをお伝えしたい。

詳しくは、ピエタ・デイ・トゥルキーニ発表の公式プログラムを参照のこと。
http://www.turchini.it/documentazione/dibattiti/CONVEGNI_28_31gennaio2010.pdf

このところのイタリアの音楽学の発展を反映するかのように大変贅沢なプログラムで、タイトルだけをみてもいかにペルゴレージが音楽学領域において注目されている作曲家か伝わることと思う。(もはや、ローマ、ミラノ、ドレスデンでやることがなくなってしまうのではないかとこちらが心配してしまうほどでさえある。)

なお、このプログラムは暫定的なもので、1週間前に公表されるプログラムを正とする。また肩書きについては私が今のところ把握している分のみで、最新の情報ではないかもしれないので注意されたい。
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■日時: 2010年1月28日ー31日 
■場所:
     1. ナポリ古楽研究所”ピエタ・デイ・トゥルキーニ”(サンタ・カテリーナ・ダ・シエナ教会)
    2. ナポリ、Zevallos Stigliano宮
3. ポッツォーリ、Tempio Rione Terra
    4. ナポリ、Villa Pignatelli荘 

プログラム

■1月28日 15:00 場所: カテリーナ・ダ・シエナ教会 via Santa Caterina da Siena, 38)

◎挨拶
ペルゴレージ財団Fondazione Pergolesi-Spontini di Jesi
フェデリカ・カスタルドFederica Castaldo, ナポリ古楽研究所”ピエタ・デイ・トゥルキーニ”所長

◎座長 レナート・ディ・ベネデット Renato Di Benedetto

・インマ・アシオーネ(カゼルタ市歴史文書館)、「ペルゴレージの時代の史料」
 Imma Ascione, Fonti per l’età pergolesiana
・エルヴィーラ・キオージ(ナポリ大学)、「18世紀前半のナポリにおける文化と政治」
 Elvira Chiosi, Cultura e politica a Napoli nella prima metà del Settecento
・ベアトリーチェ・アルフォンツェッティ(ローマ第1大学“ラ・サピエンツァ”)、「ハプスブルク副王下の悲劇の声」
 Beatrice Alfonzetti, La voce del tragico nel Viceregno asburgico
・ロベルタ・トゥルキ(フィレンツェ大学)、「《奥様女中》」
 Roberta Turchi, Le serve padrone
・マリア・イダ・ビッジ(ヴェネツィア大学)、「18世紀前半の舞台画」
 Maria Ida Biggi, Illusione prospettica e immagine pittorica. La scenografia del primo Settecento
・ロベルト・デ・シモーネ、タイトル未定
 Roberto De Simone,

■1月29日(金)、9:30 場所:Napoli, サン・カルロ劇場

◎座長クラウディオ・トスカーニClaudio Toscani

・ジュリアーナ・ボッカダーモ(ナポリ大学)、「18世紀のナポリにおける宗教性」
 Giuliana Boccadamo, Religiosità a Napoli nel Settecento
・アウジリア・マガウッダ(ノヴァーラ音楽院)&ダニーロ・コスタンティーニ(ミラノ音楽院)、「ペルゴレージの時代のナポリ王国における宗教劇」
 Ausilia Magaudda-Danilo Costantini, Il dramma sacro nel Regno di Napoli al tempo di Pergolesi
・ガエターノ・ピタッレージ(カラーブリア音楽院)、「ポーヴェリ・ディ・ジェズ・クリスト音楽院の生徒、ペルゴレージの諸宗教劇」
 Gaetano Pitarresi, I “drammi sacri” di Pergolesi, allievo del Conservatorio dei Poveri di Gesù Cristo
・クラウディオ・バチャガルッピ、「地震に対する音楽:聖エミーディオへの奉納」
 Claudio Bacciagaluppi, Musica contro i terremoti: sulle celebrazioni per S. Emidio
・テレサ・ジャルドローニ、「ペルゴレージの時代のナポリにおけるカンタータ」
 Teresa M. Gialdroni, La cantata a Napoli negli anni di Pergolesi
・アントーニオ・カロッチャ(ナポリ・ジェロラミーニ修道院)「ペルゴレージのいくつかのカンタータにおけるドラマ性」
 Antonio Caroccia, La dimensione drammatica in alcune cantate di Pergolesi


■1月29日、15:00 場所:ポッツォーリ市、Pozzuoli, Tempio Rione Terra

◎座長フランコ・ピペルノFranco Piperno(カラーブリア大学)

・フランチェスコ・コッティチェッリ&パオロジョヴァンニ・マイオーネ、「18世紀前半のナポリの音楽、劇場に関するパースペクティブ:銀行文書より」
 Le carte degli antichi banchi e il panorama musicale e teatrale della Napoli di primo Settecento: 1726-1736(progetto e cura di Francesco Cotticelli e Paologiovanni Maione)
・マリーナ・マリーノ(ナポリ音楽院)、「宗教音楽」 
 Marina Marino, La musica sacra
・アンジェラ・フィオーレ(ペルゴレージ財団-ナポリ古楽研究所トゥルキーニ)、「女子修道院における音楽」
 Angela Fiore, Musica nei chiostri femminili
・ケリー・リディアーネ・ガッロ(ペルゴレージ財団-ナポリ古楽研究所トゥルキーニ)、「個人の(音楽)発注者」
 Kelly Lidiane Gallo, La committenza privata
・カルラ・アルディート(ペルゴレージ財団-ナポリ古楽研究所トゥルキーニ)、「サン・バルトロメーオ劇場」
 Carla Ardito, Il Teatro di San Bartolomeo
・パオロジョヴァンニ・マイオーネ(アヴェリーノ音楽院)、「喜劇(オペラ)の舞台」
 Paologiovanni Maione, Le scene della commedia
・フランチェスコ・コッティチェッリ(カリアリ大学)、「芝居としての舞台」
 Francesco Cotticelli, Il teatro istrionico
・フランチェスコ・ノチェリーノ(ナポリ)、「ペルゴレージの時代のナポリにおける楽器製作者の技術:銀行信託を通して明らかになる楽器学に関する調査」
 Francesco Nocerino, L’arte di costruir strumenti musicali a Napoli al tempo di Pergolesi. Un’indagine organologica attraverso polizze e fedi di credito


■1月30日、9:30 ナポリ、 場所:Palazzo Zevallos Stigliano宮 (Via Toledo, 185、Napoli)

◎座長:マリーナ・マリーホーファーMarina Mayrhofer(ナポリ大学)

・ローザ・カフィエーロ、「“音楽院と呼ばれた4つの音楽施設がナポリには既にあった”:ペルゴレージの時代の音楽教育」
  Rosa Cafiero, «Esistevano in Napoli quattro Licei, fra noi detti Conservatorj»: formazione musicale e «Armonica carriera» nell’età di Pergolesi
・ジョルジョ・サングイネッティ(ローマ第3大学)、「即興を通して作曲を習得する。グレーコとドゥランテの(チェンバロ曲)「パルティメント」(の分析)を通して」
Giorgio Sanguinetti, Imparare la composizione attraverso l’improvvisazione. I partimenti di Greco e Durante
・パオロ・スッロ(ローマ第3大学)、「ペルゴレージのソルフェージュ曲集(ナポリ音楽院所蔵(I-Nc 18.3/21 olim Rari 1.6.29/4)」
 Paolo Sullo, Una raccolta di solfeggi di Giovanni Battista Pergolesi (I-Nc 18.3/21 olim Rari 1.6.29/4)
・アンジェラ・ロマニョーリ(パヴィア=クレモナ大学)、「“新”ナポリ風スタイルの推敲におけるフランチェスコ・マンチーニの位置づけ」
 Angela Romagnoli, Il ruolo di Francesco Mancini nell’elaborazione di uno stile ‘moderno’ alla napoletana
・ステーファノ・アレージ(パヴィア=クレモナ大学)、「ニコラ・ポルポラ:自作引用、そして趣味の例-古典、モダン、新しいもの、ナポリ様式、イタリア様式、フランス様式」
 Stefano Aresi, Nicola Porpora, l’autoimprestito e il paradigma del gusto: antico, moderno, nuovo, napoletano, italiano, francese
・チェーザレ・フェルトナーニ(ミラノ大学)、「ポルポラのヴァイオリン・ソナタにおける多くの謎」
 Cesare Fertonani, I molti enigmi delle sonate per violino di Porpora


■1月30日、15:00 場所:ナポリ、Palazzo Zevallos Stigliano宮

◎座長:フランチェスコ・コッティチェッリFrancesco Cotticelli

・ロベルト・ラング、「《シリアのアドリアーナ》における、ナポリの様式についての考察」
 Robert Lang, La questione degli elementi stilistici napoletani nell’Adriano in Siria
・ロレンツォ・マッテイ(ターラント音楽院)、「18世紀の音楽論文における“ペルゴレージ神話”」
 Lorenzo Mattei, Il “mito Pergolesi” nella trattatistica musicale del Settecento
・クルト・マークシュトローム(カナダ・マニトヴァ大学、サン・ジョンズ校)、「ペルゴレージと、18世紀後半においける音楽批評」
 Kurt Markstrom, Vinci, Pergolesi e la critica musicale del tardo Settecento
・フランチェスカ・セラー、「19世紀ナポリにおける、ペルゴレージの受容と幸運」
 Francesca Seller, Fortuna e ricezione pergolesiana nella Napoli dell’Ottocento
・ロレダーナ・パルマ、「マストリアーニ版:伝記と伝説におけるペルゴレージ」
 Loredana Palma, La versione di Mastriani. Pergolesi tra biografia e leggenda
・ルーチョ・トゥファーノ(ナポリ大学理学部図書館)、「セッラーオ(作曲、オペラ《ペルゴレージ》)1857 における、「これほどまでに可笑しくゆがめられたペルゴレージ」」 
 Lucio Tufano, «Mostruoso a vedere un Pergolesi cosi baffi». Serrao, Ronchetti Monteviti e il mito in scena (1857)


■1月30日、21.00 場所:ナポリ、 Villa Pignatelli荘
ペルゴレージ生誕300年記念コンサート

ソプラノ:シモーネ・ケルメス Simone Kermes
演奏:アンサンブル・レ・ヌォーヴォ・ムージケEnsemble Le Nuove Musiche
指揮:クラウディオ・オゼーレClaudio Osele
曲目:
*ハッセJohann Adolf Hasse (1699-1783)
 ・Sinfonia dalla serenata “Marc'Antonio e Cleopatra”
 ・Spiritoso e staccato - Allegro – Grazioso
*ポルポラNicola Porpora (1686-1768)
 ・Tocco il porto – aria di Quinto Fabio dall’opera “Lucio Papirio”
 ・Morte amara – aria di Quinto Fabio dall‘opera “Lucio Papirio“
*ペルゴレージGiovanni Battista Pergolesi (1710-1736)
 ・Concerto per violino, archi e basso continuo in Si bemolle maggiore
 ・Tu me da me dividi - aria di Aristea dall‘opera “L`Olimpiade“
*レーオLeonardo Leo (1694-1744)
 ・Manca sollecita – aria di Cleonice dall‘opera “Il Demetrio“
*ガッロDomenico Gallo (fl.18˚secolo )
 ・"Follia" in sol minore per 2 violini, viola e basso continuo
*ペルゴレージGiovanni Battista Pergolesi
 ・Lieto così talvolta – aria di Farnaspe dall’opera “Adriano in Siria”
*ハッセJohann Adolf Hasse
 ・Come nave in mezzo all’onde - aria di Siface dall‘opera “Viriate“


■1月31日(日)、9.30  場所:ナポリ、カテリーナ・ダ・シエナ教会 Chiesa di Santa Caterina da Siena
◎座長、パオロジョヴァンニ・マイオーネPaologiovanni Maione(アヴェリーノ音楽院)

・ヴィンチェンツォ・ドッラ(ナポリ大学)、「ペルゴレージの台本作家、ジェンナーロ・アントーニオ・フェデーリコ:言外の様式」
 Vincenzo Dolla, Gennaro Antonio Federico, librettista di Pergolesi. Connotazioni strutturali e stilistiche
・ロージー・カンディアーニ、「喜劇オペラ《本人と認められた道化師》(ナポリ、1724)」
 Rosy Candiani, Napoli 1724: lo Sagliemmanco riconosciuto
・ラッファエーレ・メッラーチェ(ミラノ・カトリック大学)、「ペルゴレージとハッセ(のオペラ)における、恋仲におちる姉妹と兄弟」
 Raffaele Mellace, «Io v’era frate»: sorelle e fratelli innamorati tra Pergolesi e Hasse
・マリオ・アルメッリーニ(ヴェローナ音楽院)、「サン・バルトロメーオ劇場における、情け容赦のない独裁者、および抑圧される姫君たちの舞台:ヴィンチの《エルネリンダ》(1726)と、ペルゴレージの《誇り高き囚人》(1733)を例に」
 Mario Armellini, Tiranni spietati e principesse oppresse: scene madri al San Bartolomeo, nell’Ernelinda di
Vinci (1726) e ne Il prigionier superbo di Pergolesi (1733)
・ロベルト・スコッチマッロ(ベルリン自由大学)、「ペルゴレージとレーオのオペラ・セリアにおけるアリアの旋律の特徴」
 Roberto Scoccimarro, Profilo melodico e fraseologia nelle arie di Giovanni Battista Pergolesi e Leonardo Leo. I drammi seri


■学術委員
レナート・ディ・ベネデットRenato Di Benedetto(委員長)
フランチェスコ・コッティチェッリFrancesco Cotticelli
パオロジョヴァンニ・マイオーネPaologiovanni Maione
フランコ・ピペルノFranco Piperno
クラウディオ・トスカーニClaudio Toscani

◎なお、この秋には、上記委員、フランチェスコ・コッティチェッリ、パオロジョヴァンニ・マイオーネ両音楽学者を招聘(東京、および大阪)し、これらイタリア音楽学における最新の研究成果を聞く一般向け催しを予定しています。ぜひお楽しみに。
こちらも、ピエタ・デイ・トゥルキーニ発表の公式プログラムにもう掲載されている。
http://www.turchini.it/documentazione/dibattiti/CONVEGNI_28_31gennaio2010.pdf

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2010オペラ・マスターコース参加者(およびオペラ出演者)募集案内

■オペラ・マスターコース参加者(およびオペラ出演者)募集案内

トスカーナ州コルトーナを本拠にするオペラ団体、アカデミア・トスカーナ・リリカ "ドメニコ・チマローザ" では、ここ3年ほど、毎年夏に、イタリア・オペラに関するマスターコースと受講生によるオペラ上演を続けてきました。
  http://www.accademialiricacimarosa.com   
  http://www.teatroaccademiatuoro.it/laboratori-lirici.html

来年2010年夏には、チマローザ作曲、喜劇オペラ《La Vanita' delusaあての外れた虚栄》(2幕: フィレンツェ、1784)の復活初演、およびCD録音(Bongiovanni あるいはNaxsosより出版予定)を行う予定で、現在参加者-出演者を募集しています。オーケストラはモダンですが、古楽オペラへのアプローチを重視しています。

なお、私が同団学術顧問で関わっていることもあり、来年は、1, 2名の日本人の参加があることを念頭に話をすすめています。


●期間: 2010年8月22日(全員集合)から9月12日(レコーディング該当者は、作業のためさらに5日ほど延びる予定)

●場所: Tuoro sul Trasimeno(ペルージャ県)
  http://www.natura.regioneumbria.eu/default.aspx?citta=054055
  http://it.wikipedia.org/wiki/Tuoro_sul_Trasimeno

●オペラ上演:<★情報変更!!12月26日>
   衣装付全曲上演は、2010年9月11日、9月12日に、マスターコースと同じTuoro sul Trasimenoの市立劇場、Teatro Comunaledell’Accademia di Tuoro sul Trasimeno で行います
   ( 平土間180席+パルコ席の小さな小さな村の劇場ですが、一般観客を入れて行います。) 
  劇場HP: http://www.teatroaccademiatuoro.it/teatro.html
         http://www.teatroaccademiatuoro.it/Photo%20Gallery.html

ほか、8月29日、9月3日、9月5日にも受講生によるコンサートを予定。

●募集対象: 本オペラのキャストは、3ソプラノ、2テノール、2バス/バリトン ですが、ダブルキャストでの上演を予定しているため、募集受講生総数は、ソプラノ6人、テノール4人、バス4人の計14人となります。基本的に音楽院、音楽大学在学生、あるいは卒業生(若手)でイタリア語ができることとしますが、イタリア原語でのオペラ全幕参加ができることが条件になります。

●講師陣
Michael Aspinall (Vocal coach
Simone Perugini (Interpretazione stilistica del repertorio Settecentesco
Marco Rimicci (Tecniche per Pianisti accompagnatori
Gabriella Minarini (Audio-vocal training
Carlo Paolillo (Audio-vocal training
Ersilia Monacchini (Arte scenica
Luca Marzetti (Interpretazione e tecnica orchestrale


●費用: 国際的なキャリアを持つスタッフによるマスターコースはすべて無料。
 宿泊・食事については、会場近くに一泊25ユーロ(+食費)程度の宿舎を確保してあります。[要確認] また、チケットノルマ、CDノルマは基本的に一切発生しません。あと、上演作品のCD(DVD?)は後日無料で贈呈されるようです。

●申込方法: ホームページwww.accademialiricacimarosa.com "Eventi" から、参加申込書がPDFでダウンロードできるようになっています。
申込書 http://www.accademialiricacimarosa.com/Documenti_corso_2010/Scheda%20iscrizione.pdf
詳細 http://www.accademialiricacimarosa.com/Documenti_corso_2010/Rego_cantanti.pdf

提出締め切りは、4月30日で、上の申込書にオーディション料30ユーロ(為替、あるいは銀行振り込み記録を添えて)を添えて申し込み。
5月半ばにオーディションを予定しています。また日本在住者の場合、CD、あるいはDVD録音での提出も可能。
また、合格者は、前金として100ユーロを6月15日までに振り込んでもらいますが、これは現地到着後全額返金されます。 (詳細は上記HPプログラム参照)

Accademia Lirica Toscana "D. Cimarosa" 
Via Vecchia di Pozzolatico 6/24
50125 Firenze
Tel.: +039333/9736033


●歌手オーディションの詳細

以下の作品から、任意のアリア1曲を選ぶこと。(郵送の場合、DVDでの録画録音が望ましい)
http://www.accademialiricacimarosa.com/Documenti_corso_2010/Rego_cantanti.pdf

1) Le nozze di Figaro, di W. A. Mozart
2) Don Giovanni, di W. A. Mozart
3) Così fan tutte, di W. A. Mozart
4) Il Matrimonio segreto, di D. Cimarosa
5) Il Barbiere di Siviglia, di G. Paisiello
6) Il Barbiere di Siviglia, di G. Rossini


●この件に関する連絡先:
(国内):  山田高誌 (本ブログプロフィール上のメールアドレス)
 (イタリア): segreteria [@] accademialiricacimarosa.com (英語、イタリア語のみ)
 

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イギリス国歌 が/は フリーメーソンの音楽

少し用事と興味があって「友愛結社」フリーメーソンのことを調べたりしている。といっても鳩ゴシップではなく18世紀のものである。

このところ、人文科学系でフリーメーソン研究は人気の領域になっており、イタリアではかなりの実証研究(史料研究)が行われてきているが、こういう成果は日本の”とんでも本系”にほとんど紹介されることもないし、故に、いまだに日本では胡散臭いものと思われてきがちである。もっとも、フリーメーソンに入っているとかそういうことは人に話したり書いてはいけない規則なので、モーツァルトでも、自身かなりの作曲をグループのためにしているのに、手紙ではそれらのいきさつやロッジのことについてはまったくふれておらず詳しくはわからない。
しかし、各地のロッジのメンバー表とか、組織の史料に関する研究が最近かなり進んできており、誰がどのロッジにどの役割で何年までいたのか、という大枠の情報が今次々と明らかになり、これが音楽の形成の場として重要な「サロン研究」ともからんできて、とても面白い。

さてそれでメーソンロッジでは、儀式などで音楽が重要視されていたようで、モーツァルトはじめメユール、ピッチンニ、マルモンテルやシラーら数多くの作曲者や台本作家が讃歌、合唱、行進曲など書いている。

そんなわけで、その教義が音楽面にも現されているのかと思って1818年にボストンで出版されたフリーメーソン音楽帳Luke Eastman, Masonic Melodies, Boston, 1818を調査したところ、73曲のうち4割ほどが3人の合唱曲で一応”3”にこだわっていることがわかるが、3拍子系は4割ほど(つまり残りは2拍子系)、そして3つの臨時記号のつくもっとも”メーソン”ぽい曲はわずか16パーセントぐらいなので、音楽の構造面でメーソン的な記号はほとんどみられず、誤差範囲かと残念に思った矢先、なんと “Mark Master’s Song: to be sung during the closing Ceremony”, というメーソンの儀式を締めくくる音楽が、なんとイギリス国歌“God save the Queen”に完全に一致することがわかり驚いた。もちろん歌詞は完全に異なる。

イギリス国歌、あれは、イギリスのオペラ作曲家、トマス・アーンの編曲により、1745年にドルリーレーン劇場において、ベン・ジョンソンのオペラ『錬金術師』(The Alchemist) 終演後に演奏されたのが最初の”公演”であり、1837年、ヴィクトリア女王の時代に公式に国歌として取り入れられる以前から、すでに国際的に広まっていた曲である。

ウィキでも書かれていたことだが、そもそもイングランド起源ではなく、ジャコバン側の歌で、フランスから輸入されたらしく、おそらくは1740年に、Henry Careyによる英語の歌詞(フランス語からの訳)がつけられ、45年の公演に用いられたというのがおおまかな流れのようだが、さらに16世紀の音楽などにその起源を見出す人もいて、明確な起源はまだ判明していない。

つまり、とりあえずジャコバン派の歌がどういう経緯かそのうちに国歌になったと理解してもよいのだろうか。問題は、その後、”体制側”の音楽となったこの音楽を、再び”ジャコバン派とほぼ重なるメーソンが自分のものとして使い始めたというが面白い。むしろ、1745年以前から実はメーソン(ほぼ同義的にジャコバン派)によって作られ、国歌へと持ち込まれたと考えることもできるのではないだろうか。
その辺はもちろんよくわからないので、できる範囲で調べてみたところ、これは1818年の音楽帳だけでなく、さらに1819年、1826年のメーソン音楽帳(イギリス、オランダ)にもこの歌詞が掲載されていることからみて、19世紀前半には、かなりの広範囲にわたってメーソン儀式の曲としても用いられており、後に正式に国歌となるこの曲を聞く人がきけば、そういうこと(イギリス系のロッジの下の云々)として広く認知されることになっただろうことが示される。

実際、王室の一員で始めてメンバーになったジョージ4世(在位1802~30年)以後、王室はメーソンに入会するのがならわしとなったということであるが、その時期と、この国歌のメーソン歌への変容の時期とぴったりかぶってくるのである。そうすると、第9などでメーソンに親しい感情を抱いていたベートーヴェンがこの曲を主題にした変奏曲ピアノ曲WoO.78 7(1803) を作曲した時期は、まさにそういう時期だったのかもしれないし、さらに、ニコロ・パガニーニによるこの曲主題のヴァイオリン独奏変奏曲Op.9,MS.56(1829)なども何かメーソンとの関係があるのかとどうもいぶかしくなってくる。とおもって探ってみたらパガニーニについてはもしかしたらビンゴの雰囲気。
  Quatuor Coronati LodgeのYasha Beresiner WM、HISTORIC ASPECTS OF FREEMASONRYがその名前を出して触れている。 http://www.freemasons-freemasonry.com/yasha.html

さすがにジミ・ヘンドリックスやクイーンの演奏にそういう意図があったとは思えないが、すくなくとも、国歌の”パロディ化”の理由には、ただ単に皆が知っているからという以上に、もっと裏の思惑があるにちがいないと考えたほうがよい。そういう見方をすると、そういう曲をただ集めて演奏しただけの能天気なCDが出ることについては何もいわないが、

http://www.kinginternational.co.jp/contents/2008/08/post_142.html

またそれを朝日.comが、http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY200808130128.html
「著名な作曲家たちが他国の国歌でこんなに自在に遊んでいた、という事実に目を開かされる。様々な国境の変化を体験してきた国の人々ならではの感覚か。(中略)ラフマニノフがアメリカ国歌を、ベートーベンがイギリス国歌を臨場感たっぷりにアレンジしている様は、どことなくエール交換のような趣を醸す。」 

などとの批評(というかたんなる感想文程度の太鼓持ち記事)をしているのは、たいがいにおめでたいとしか思えない。いろいろな対応を見るにつけそのへんの裏の事情にもっと敏感な会社かと思っていた。

その後のイギリスは、19世紀末にエドワード7世がメーソンに入会しその後国王になっていることからみて、おそらく今の王室もそういうことなのであろう。もちろん日本の鳩先生は日本ロッジの設立者の血統なのだから、あそこも当然そういうことで、こういうサインも出している。ttp://never-say-die.net/2009/06/24/hato.jpg

世界のある層を見渡せばほとんどそういうことになっているので当然だとは思うが、しかしながら友愛の使い方はあれでよいのでしょうか?


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ペルゴレージ300周年記念祭

来年はアレッサンドロ・スカルラッティの生誕350年、および、ペルゴレージの生誕300周年記念祭というまことにまことに記念すべき年であり、聖ナポリ年とでも言うべき年である。
(フォルジュルネは来年ショパンを取り上げるらしいが、一言で言えば的外れである。)

生地で聖地イエージに設立されているペルゴレージ研究所は、ようやく20年にわたる活動の後クリティカルエディションの出版を完了させるとともに、大部の研究書を発刊し、1月4日の誕生日から記念行事を開始する。以下生地イェージで行われるプログラムを書いてみたい。

1月4日(誕生日) オープニングコンサート、ステファノ・デミケーリStefano Demicheli指揮コンサート

3月16日 ファビオ・ボニッツォーニFabio Bonizzoni指揮、リゾナンツァ、宗教曲コンサート

6月3日  ファビオ・ビオンディFabio Biondi指揮、エウロパ・ガランテ、オラトリオ《聖ジュゼッペの死SLa Fenice sul rogo ovvero La morte di S.Giuseppe》
6月4日- オッターヴィオ・ダントーネOttavio Dantone指揮、アッカデーミア・ビザンティーナ、オペラ《フラミニオFlaminio》  
6月10日- ダントーネ指揮、オペラ《シリアのアドリアーノL'Adriana in Siria》  

9月3日  ダントーネ指揮、オペラ《オリンピーアデL'Olimpiade》
9月21日  クラウディオ・アッバードClaudio Abbado指揮、宗教曲コンサート(スターバト・マーテル、ヴァイオリンコンサート他)

2001年よりペルゴレージ研究所が音楽祭を開始し、2002年から毎年私はイエージに行き、その質の高さ、総合的なプログラムに感動してきたが、今年はその総決算とでもいうべきなんという贅沢さ。

ダントーネ、ビオンディについてもう説明する必要も無いが、アッバードは、日本ではあまり知られていないが古楽にも大変力を入れていて、ジェズアルドのマドリガーレなどをキューバのルネサンスグループArs Longa de la Havanとともにイタリア各地で演奏し、これら遺産を紹介したりしてきたが、ペルゴレージについてももう何年も前から「バッハとモーツァルトの源流である」として、イタリア大統領の公認プロジェクトとして活動を行っているほどである。先日グラモフォンから出版された3枚組みのアッバードの”ペルゴレージ・プロジェクト”には、サラ・ミンガルドやカルミニョーラも出演し、A=430で演奏されたミサ曲などが収められている。

あと、2008年にナポリ古楽オーケストラ、ピエタ・デイ・トゥルキーニがもってきたオペラ《Salustia》などは、本当なら、「全曲上演」を目指す2010年にも再演される予定だったが、こちらはどうもキャンセルの模様。
というのも、指揮者のアントーニオ・フローリオAntonio Florioがなんとトゥルキーニを離れてしまって(自身が設立者なのに、別団体を立ち上げ、古楽研究所トゥルキーニ、およびオーケストラと断絶状態)、解体の危機にあるからである。支払いがなかったり、2年後に”遅れて”支払われたりと、いろいろな経済的な問題にもう愛想をつかしたみたいで、今大きな問題になっている。オーケストラを抱えるというのは国や県が行う事業であるが、もはやイタリアもあちらこちらで財政緊縮がとられ、末端とでもいうべき古楽系のオケへの援助の余裕はどこにもなく、トゥルキーニも余波をかぶったというか、とりあえずペイの良い海外公演などは続けているようだが、今後どうなるかわからない。

2008年はもちろん、2009年もヴィンチの《パルテノペ》公演ですばらしい活動を行ってきたが、そういうわけで2010年のプログラムは今も未定である。
http://www.turchini.it/centro/stagione_alCentro.cfm


研究書については、これまでPergolesi Studiesとしてほぼ隔年秋に発刊され、その質の高さで有名であるが、今年はすごい。ペルゴレージが活躍した1730-40年について、ナポリの7つの銀行の、すべての取引記録を全部読んで、音楽活動に関する支払い文書をすべて明らかにするというものである。2年、6人がかりのプロジェクトで、その仕事量たるや、私も銀行文書館で働いて横で見ていたので良くわかるのだが、大変なものである。
これでつまり、18世紀前半-中期のナポリの音楽事情の全貌(楽団を抱える少なくとも16の教会の音楽活動や、4つの音楽院、5つの劇場、そして個別作曲家、演奏家の活動、貴族のメセナ活動) が契約書レベルですべて明らかになるというものである。
こういう仕事こそが100年後にも残る音楽学の仕事となる。

●上の各イヴェントのほか、2010年末にはナポリ、トゥルキーニ古楽研究所で国際学会が開かれ、続いて5月にはミラノ大学、11月上旬はドレスデン大学を中心に、それぞれペルゴレージに関する国際学会が行われる。
さらに11月下旬には、東京北トピア音楽祭においてペルゴレージを中心とした公演&学会が行われるようなのことで、こちらも今から楽しみである。
http://www.kitabunka.or.jp/ongakusai/on2009/2010bosyuu.html

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明らかになった盗品買い(善意の取得者として)

このところ散財をくりかえしているが、さらにこの3ヶ月、重点的に18世紀のナポリの劇場関連文書を購入してきた。

もう15点ちかく、それも1770年代の興行文書で直接研究にかかわるのものなので、高額であるが、いろいろ工面をして支払いをしてきた。その内容は、サン・カルロ劇場の内部文書、収支報告書、公演後のメニューとその価格、フィオレンティーニ劇場の興行師の破産問題、検閲用台本とその報告書、ロシアのエカチェリーナのもとにいる大使からの報告書、ロシアにいるイタリア人コピスタへの支払い文書、クリスチャン・バッハのナポリ招待などの文書、などなど、その内容は劇場史にとって第一級のものでクリスティーズの出品品であってもおかしくはない。

古物商が言うには、ナポリの貴族として在ローマのガエターニ伯爵家の当主に子供がなくて文書庫を引き取った中から見つかったというので、一応それを信用して取引をしてきた。今週になりその彼から電話があり品物が(在庫に)見つかったから来いといわれて見に行くと、どうも昔目にしたことのあるフィオレンティーニ劇場の修復図を持っている。

フィオレンティーニ劇場は、1778年に劇場の地下に洞穴が見つかったこともあり建築師フェルディナンド・フーガ指揮のもと改築を行ったのだが、そのフーガのサインつき報告書と劇場内部図がおっさんの手の中にある。それからほかにもカゼルタでの上演記録と収支報告書など4点ばかり。問いただしても、何枚も作ったうちのコピーじゃないか、というのでそれを信じながら、もちろん、こんな機会はないので購入することとして、一部金だけ払ってその一部を持って帰った。

しかし、やはり何かおかしいと思って、ここにリンクにも張ってあるナポリの文書館のデジタルアーカイブを確認すると、その文書とまったく同じものが掲載されているではないか。そのほか、いろいろと確認してみたら、私がすでに購入して持っていたいくつかの文書そのものが、国立ナポリ公文書館の所蔵品としてUPされているのである。

これはやられたと思い、翌日2009年11月26日、すぐに家のすぐ裏手にある国立ナポリ公文書館に赴き、当該のファルネーゼ文書、fascio1842を注文してみる。
そうしたら、なんとその巻だけ閲覧室ではなく、4階の地図書庫に配置されているのだというので行ってみると、その部屋に勤める女性館員が、「女性の音楽の歴史を研究しているの」とかと言ってその巻を「調査中」であり、たいそう面食らった様子でもう一人の館員となにやら目配せしており、明らかに不穏な雰囲気が広がってきた。ピンときた私は二人になったところをみはかりかまをかけてみると、その女は眼で訴えてきながらも、文書館のものよと繰り返してばかりいる。

直接閲覧室に運ばせ中身を確認すると、当該文書がやはり欠落している。
フェルディナンド・フーガの内部図の部分や、グルックのオルフェーオ上演関連のファイルに欠落が見られ、それと私が購入していたものとが合致するのだ。どうも、有名人のサインが入り、美しい字や、装丁がなされたものだけ抜き出されている様子で、いろいろな意味でプロの仕業だと感じ入った。

文書館から紙1枚を持ち出すことはうまくやればそれほど難しいことではないかもしれないが、到底素人ができるものではない。その量、質ともにすぐに内部の犯行だと感じたが、まさに、ビンゴであり明らかにその4階の職員(たち)の犯行であろう。考えてみれば、文書館は、マフィアの力が特に強い場所にあるので、むしろ文書館はマフィアの手下にあるのかもしれない。企業だけでなく、大学や役所のトップがマフィアであることもしばしばらしいので、文書館の組織的な犯行とも考えられる。(追求すると本当に消されることもあるのでこういうのは追求しないが吉である。)

しかしながら、未発見の史料かと喜んでいた私は、これにはがっかりであった。文書館の、しかもカタログ番号まで特定できる史料であることから、これを公表した時点でそれが存在しないものであると共に、私に窃盗の疑いがかけられるからだ。
日本では、この場合善意の取得者として返品と共に返金されるのだろうが、イタリアではどうなのだろう。彼らが金を返すとは到底思えないし、文書館が金を払ってくれるとも思えない。さらに、もうその一部は悪意ある犯行者の手の中にあることもわかっている。もう買わないと彼に連絡するとともに、交渉してその残りを買い叩き、その後に処置を考えるしかないであろうか、どちらにしても弁護士と相談しなくてはならない案件となってしまった。

さらに彼らも売った相手が悪かった。まさか翌日に出所が特定されるとは思いもよらなかったであろう。私も知らなかったことにしておくのが一番よいかもしれないが、史料保存を何より大切に思い、史料の正しい「系図」を作るのが仕事であるため、まずはここに書いてとりあえずはその「所在」を報告をすると共に、このようなことがおそらく過去にたくさんあったのであろうと感じ大変残念な気持ちである。いや、むしろとりあえずは私がすべて所有し、折があれば返還さえしようと思っているのでむしろ幸運なレアケースであったようにも思われる。

それにしても、欲しいと思っているものが都合よく出てくるナポリの「素晴らしさ」は他の地域とくらべて群を抜いている。さすがはナポリではないか。私もあまりに深くこの町になじんでしまっているのだろうとしても、またそれを実現させる私自身の欲深さに驚いた。そう、モーツァルト研究で有名な音楽学者アンガーミュラーの場合、彼はモーツァルトの家を買い取って博物館にしたほどの研究家で、かつ金満家で有名であるが、そのわけは、その昔昔モーツァルトの自筆譜をこっそりと発見しそれを高値で売りさばいていたからというらしく、これもまずは対象への欲深さとそれを実現させる能力が根底にあったからではないかと思う。(反対にこれが無い人は研究者に向いているかどうか微妙ということである。)

なお、この騒ぎのおかげで調査したファルネーゼ文書fascio 1842の中には、なんと興行師ジェンナーロ・ブランキのカゼルタ上演時の帳簿があることがわかった。これは文書館の内部カタログにも記録されていないものであるため、これまで私もまったく知らなかった史料であるが、これまで長らくブランキの活動とその人に注目していた私は、まさに彼の汗と垢がしみこんだように見える紙製の手帳を前に大分と興奮して、すぐに複写願いをするとともに、全ページ精査したばかりか、美しい紙で装丁されたファイルの外側で、おそらくは彼の手垢で黒ずんだ部分のにおいも嗅いでみた。紙とインクと埃のにおいの中に何か有機的なものを感じ取りむせたが、それが興行の大変さを表しているような気がして大変充実した気分となった。

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チェスティの《愛の災難》(1667)@ピサ あとボローニャ学会後記

ボローニャでは、音楽図書館での複写のほか、1日半しか学会に参加できなかったが、それでも名店ディアナなどで食事をしたりと収穫はあった。

11月21日の午前中のセッションの中で記憶に残った発表を2点だけ記しておきたい。

ジュネーブの研究員クリスティーヌ・ジャンネレが発表したマリア・カヴァッリの役割についての研究発表は、フランチェスコ・カヴァッリの傍らですべてを筆写していた妻マリアの仕事の足跡をクローズアップするもので、いくつかの先行研究(ジェフリーなど)にみられる複数の筆写師の存在を否定するものであった。特に、《ヴェレモンダVeremonda》の筆写譜が「汚い」というわれているのは、ヴェレモンダの作曲前にマリアが没し、筆写してもらえなくなったため、フランチェスコ自身がなれない手で筆写をせねばならなくなったためであろうという結論も、マリアの他に筆写師がいなかった仮説を裏付けるものとなり、納得のいくものである。
 筆写師についての分析方法についても、時代は違えど私も学ばなくてはならないものであった。

 また、ボローニャ大学のニコラ・バドラートの発表は、カヴァッリ作曲、ファウスティーニ台本の《エウリポ》(1649)が、17世紀にイタリアでも広く流布していたスペインのロペ・デ・ベガ(1562-1635)の喜劇《La fuerza lastimosa》(1609)を下書きに作られたことを劇作法から丹念に読み解き証明する、見事なものであった。
50年ほど前にスペイン語で書かれた作品、(さらにまったく登場人物名は異なる)にその原作を見いだすことは、なかなかにできるものではない。18世紀になるとさらに台本作家はフランス語、英語の原作を取り込み喜劇を作り始めるが、いまその源流をたどれることができるものはごくごく一部である。その意味で、この研究発表は台本研究の方法のひとつの”雛形”として今後参考にしたいと思った。

あと、会場となるボローニャ大学演劇学部の構内では朝市が立っており、チーズや自家製ビール、さらには生きた鶏までが売られていた。学会会場の横で、市民のふれあいの場が普通にあるというのは、特に演劇学部校舎という性格からも好ましく思えた。

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さて、同日11月21日夕刻にピサに移動し、夜20時30分よりチェスティ作曲、フランチェスコ・ズバッラ台本Dramma giocoso morale《愛の災難Le disgrazie d'Amore》(1667)を見た。サンテティエンヌ大学で今年教授に昇格する友人のジャンフランソワ・ラタリコに招待してもらったので、彼と20時に劇場横のバーで待ち合わせ、ビールとフォカッチャを流し込み劇場。

指揮はカルロ・イパタCarlo Ipata、演出はステファン・メドカルフStephen Medcalf、衣装はマッシモ・ポーリMassimo Poli。歌手には、ヴィーナス役にマリア・グラツィア・スキアーヴォMaria Grazia Schiavo、アレグリア役にクリスティーナ・アルカリCristina Arcari、火山Vulcano役にフリオ・ザナージFurio Zanasi、アモーレ役にPaolo Lopez、吝嗇Avarizia役に、マルティン・オーロMartin Oro、私の大ファンのカウンターテナーのフィリッポ・ミネッチャも端役ながらも友情出演するなど、計13人の歌手が登場する大変贅沢な祝祭劇であった。

この作品は、ウィーンの皇帝レオポルト1世の結婚式のため、経費に糸目を付けず作曲された「ポーモ・ドーロ黄金のりんご」(1667)を作曲したアントーニオ・チェスティ(1623-69)と台本作家ズバッラの二人が、続いてウィーンで発表した作品であり、オペラ史的にみても非常に重要な作品である。

「モラルに基づくドランマ・ジョコーソ」であるが、基本的にはヴェネツィアの民間劇場で上演されていたオペラとほぼ変わらないと言ってよいであろう。
幕間のバレエについては、別の作曲家が作曲していることから楽譜が残らず、演奏ができないことから、通常のオペラ上演では省かれるのが常であるが、今回、指揮者のイパタがウィーンでの上演用に作られた筆写譜を発見したことから、これもあわせて演奏された。このバレエ部はシュメルツァーによる作曲である。

まず感想を述べるなら、私が見た今年のオペラのうち1,2位を争うすばらしいものであった。
現代演出ながら、台本にこれほど忠実で原作の持つ喜劇性が露になったのにまず驚かされる。しかも全員の歌唱技術が一定水準以上であるばかりでなく、役柄とよくあっており、17世紀のオペラがこのレベルにまで上演できるようになったことに感服した。

アレグリアによるプローロゴの後に始まる本編のあらすじは、第1幕では、夫婦となっている「ヴィーナスVenere」と「ゼウス扮する火山Vulcano」。ヴィーナスは、汚い火山生活がもうたくさん、「愛」のせいで間違った結婚をしたと言い争いをしている。そこに”子供”の「愛Amore」が、(演出上で、天使のような羽を少しばかり張り付けたアメリカ風のスポーツ衣装を着て、自転車に乗って)留めに入るが、母親じゃないから家出をしようと母「ヴィーナス」の貴重品を持って出て行こうとする。箱の中に入っている高価な化粧品やら、金目のものやらが入っており、「愛」は、もっと金をよこせと言い立て家出する。
なお、「愛」役には、最初ジャルスキーが呼ばれていたらしいが、予定が埋まっていたこともあって新人パオロ・ロペスが歌っている。彼のことは2年ほど前、D.スカルラッティの《オッターヴィア》のインテルメッゾに出演していたのでその才能を知っていたが、喜劇役をやらせたら彼ほどすばらしい歌手-役者もいない。ジャルスキを持ってくるより何倍もよかったと思っている。(だいたいジャルスキーはフランスでこそ人気だがイタリアでは酷評されているし、実際オペラに出演していないでしょう。)パオロはこの作品が主役デビューだということだが、今後が楽しみである。

そして、母ヴィーナスは、「愛」の行方を追うため、火山と離婚して家を出てゆく。「火山」も自分の下で働くキュプロクスたちに、いつかえるか分からない旅にでると言い残して、二人の後を追う。

ここから、3人の巨人「チクロペ」たちによるインテルメッゾが始まる。
最初、仕事はまかしておいてくださいというのに、主人が言った後は、酒とカードゲームに興じ始める。そこからどたばたが始まり、”グロテスク”なバレエが始まり幕となる。

第2幕、逃げ出した「愛Amore」は、森の中で「欺瞞Inganno」と「追従Adulazione」の網(当時、網は悪徳の象徴とされていたため、愛は悪徳に誘惑されそうになったという象徴が見える。)にひっかかって(舞台上では網としてサッカーゴ-ルが登場)、捕まえられ、身包みはがされ「愛の矢」まで取られる。そこで、舞台は「吝嗇Avarizia」が経営するホテルに変わり、「愛」が到着する。

ここでは、愛に好意を持つ「友情Amicizia」もチェックイン、その後、ちゃらい人に扮する「欺瞞」と「追従」もこのホテルに到着し、さらなるたくらみを練りはじめ、「吝嗇」や「友情」に奪った愛の矢をあてて、彼女らの気持ちの変化を楽しんでいる。
ここでの主役が、ぼろをまとったホテルのおかみ「吝嗇」である。金にうるさい婆役を、アルゼンチン出身のカウンターテナーのマルティン・オーロMartin Oroが見事演じた。その身のこなしは、根っからの役者であり心に残るものであった。「若いころは(胸ももっとあって)きれいだったのにいまやこの体たらく」というアリアなどでの演技は、 ナポリの名カウンターテナー、ピーノ・デ・ヴィットーリオにつながるものである。

同じくバレエをはさみ、3幕。「ヴィーナス」と「火山」が長旅の末、ようやくホテルに到着し、「愛」との再開を果たす。いろいろあり、 「欺瞞」と「追従」の身分がばれ追放されると、あれよあれよというまに、みな大団円。

300年前なのに、内容があまりにも現代的であることに驚く。「愛」の間違いのせいで「離婚になった」というくだりなども、物語を超えた部分できわめて本質的であろう。詩の韻と動きとチェスティの音楽もよく対応しており、レチタティーヴォでとても楽しめる。モンテヴェルディの作品もそうだが、これほど17世紀のオペラが楽しいと思ったことは実ははじめてであった。

このオペラのCDが ハイぺリオンHyperionから出版され、年明けごろより発売開始とのこと。会場に来た人だけに先行販売だった。ジャケットには、録音会場となったトスカーナの個人の邸宅のフレスコ画で、ヴィーナスとアモーレが主題となっている絵が配されている。

終演後、バンケットで歌手たちに挨拶し、その後はアルゼンチン人とチュニジア人が大勢いたバーにて3時ごろまで飲む。
翌日、ピサの名店ダ・ブルーノに歌手のフィリッポ・ミネッチャと一緒に行き、顔ほども大きなポルチーニ茸をよい具合に焼いてもらう極上の皿と、乳飲豚を食べ、将来の仕事などを話す。レストランで近くにいた大阪出身の旅行者を誘い一緒に同上オペラのマチネ公演を見に行く。
夜は大阪の彼と一緒にリヴォルノで食事をしようと思い港町リヴォルノをうろつくが、本当に寂れた様子なのでピサに戻り、もう一点の名店で、アンテノーリの名ワイン、ティニャレッロTignanelloにあわせて、鱈ソースの生パスタ(ピチ)の後、ダマ鹿(バンビ)とイノシシの煮込み、梨とショウガのジェラート、チョコのスフレなどを食べ、秋のトスカーナを満喫する。ダマ鹿ははじめて食べたが、鯨の赤身のあたりに似た味だと思った。0時50分発の深夜列車の一等車に乗り込みナポリに朝到着。

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大阪とローマでの音楽学会後記 

日本での各種用事をどっと済ませた後、イタリアに戻り、1日ナポリの家で寝た後、翌日ローマに移動する。

帰国中には、阪大でのシンポジウムなどのほか、かに、すし、新宿の貝の専門店、京都五条のお麩の専門店、梅田のお好み焼き、など重点的に和を楽しんだ。

メンデルスゾーンをテーマとするシンポジウムに参加したので、付け焼刃ながら新しく勉強することが多かったが、ロッシーニ以降からドニゼッティにかけて、あまりにも情報量と作品、そして史料が多く、これは一生かけてもどうも足りないと感じているところである。

日本では、ベートーベンとロッシーニ以外に特に取り上げるべき作曲家がいないかのようにさっさと流されてしまっている19世紀初頭のナポレオン~王政復古時代の音楽史ではあるが、なんのなんのなんの、18世紀の遺産を受け継ぐ膨大な(オペラ)作曲家の膨大な仕事と、またそれに取り組む音楽学者が山のようにいて(といってもベートーベン研究の100分の1ほどの人数で、100倍以上の作品群を相手にするのだから大変不十分なのが実情であるが)、現在それなりに重層的な研究が確立されている。

そのようなわけで、いまさら私の出番は特にないかしらとあえて近寄ってこなかったが、ナポリ派からヴェルディへ、言い換えるとナポリからミラノ、さらには各国の”国民楽派”へとオペラの拠点が拡散しはじめる現象全体を連続体としてみるとき、19世紀初頭の時代こそが今後オペラ史で特に解明されなくてはならないテーマになろうと考えており、とりわけ1800-20年代、ドニゼッティ、ベッリーニの前、そしてロッシーニに隠されてしまってきた多数の作曲家(トリット、ヅィンガレッリ、パルマ、マイール、パヴェージ、ファリネッリ、コッチャ、グリエルミ息子、そしてフィオラヴァンティ父子などなど)たちと作品に興味を持っている。

一部の誠実な著作を除き、書店に並ぶようなオペラ(史とはいえない評論まがいの案内書)の本をちらちら覗いてみると、18世紀と19世紀で(その間の連続性が意図されないまま)章立てが変わるのはまだ良いほうで、モーツァルトの「フィガロ」か「魔笛」の後にいきなりベートーベンの「フィデリオ」を配置して、「人間賛歌」とかわけの分からないお題目のようなテーマのもと、いきなりヴェルディに続く19世紀のオペラの概説がはじめられたりしていることもあったり泡を吹くことがある。この時代のオペラを、録音があるものだけで点描しようとすることは土台無理であるどころか、それがあまりにも偏向していて危険ですらある。

大体、よく取り上げられる「魔笛」にせよ「フィデリオ」にせよ、文化的政治的領主のフランスを向いていたイタリア人(ドゥーニ、ピッチンニ、パイジェッロ、そしてスポンティーニ、ケルビーニなどなど)による、イタリア人によるフランス風グランド・オペラと、イタリア式宮廷オペラ・セリア、これらイタリアとフランス文化に完全に立脚していたドイツのオペラ事情を概説した後、そこからの距離を示すという視点からでないと、作品紹介以上の意味はないと思うのである。

さてそんな漠然とした憤りもあって、私の発表はこのような歴史的コンテクストの上にメンデルスゾーンのオペラ(とその遊離?)を位置づけてみようという試みだったのだが、途中、ウェーバーの「魔弾の射手」を「いしゅ」と読んでいたらしく、終了後方々からその指摘をいただいた。頭では分かっているのに口が勝手に違う言葉をしゃべっていたようで、指摘されてもあまりに人事のような気分で、恥ずかしいという感情にさえ至らない不思議な感覚を味わったが、ゆえに、A総理の読み間違えとそれでもゆるぎない彼の態度がやっと理解できるような気がした。ともあれ、みんな人の言葉を良く聞いてくれているのかはたまた聞いてくれていないのか良く分からない不発感の少し残るセッションではあったが、個人的にはパネルの吉田氏の論旨(当日になってやっと理解できた)が面白いかったので良しとしたい。

さて、そんなかんやで大阪での大会が過ぎたが、日払い(日給月給ではなく日割り計算で給与支払い)の研究生活のため、すぐにナポリに戻り、今度はローマのパルコ・デッラ・ムージカで開催されたイタリア音楽学会の全国大会に行く。

今回の宿はゲットーのど真ん中、そこそこ名店といわれるレストラン「ジジェット」の脇の中庭つきの小アパートで、なかなかにかわいらしい。

以下、いくつか聞いた発表を勝手に評してみたい。
●先の記事で紹介したミラノの劇場研究のマッテオ・マイナルディMatteo Mainardiは来ず、フィリップ・ゴセット教授の代読であった。しかし、史料があって研究をしなくてはならないという研究概略の発表で、肝心の中身についてはさほど以前から進展がないように見受けられ残念であった。たぶん彼の性格からして史料の出し惜しみだろう。

●また、ヴェネツィアの喜劇の台本に見られるフランス趣味の問題を扱ったアルマンド・イヴァルディArmando Daniele Ivaldiは、発表しながら関連BGMを裏で流すという完璧に準備された発表であったが、ナポリの喜劇におけるフランスの問題をさておき結論付けているため、内容は薄く納得しがたいものであった。

●ロッシーニのブッファの引用、転用の問題を扱ったマリア・ビルビリMaria Birbiliについては、フランスとドイツでマスターをとってイタリアで博士執筆中?だかの経歴から少しだけ期待をしたのだが、終了後、ゴセット教授から2つの論文にすべて書かれてあることだからそれを読めと窘められただけで、質問もなくその場で本当に終了してしまい場が凍った。よくもまぁあれで発表の場に出てくるものだと感心した。

●Daniela Macchioneの発表は、オークションにおける音楽史料の価値の高さについてまとめたものである。
私自身もこのあいだサザビーズに入札したり積極的にチェックしているので、アクチュアリティを持って聞いた発表であった。最後フィリップ・ゴセット教授は、シカゴ大学がすすめるドニゼッティ、ベッリーニ、ロッシーニ史料のオークション落札カタログ(さらにオンラインで確認できる)を作っているとのコメントがあったが、たしかにそうしなければ史料は散逸してしまうばかりである。

そういえば、今パリの某書店で、レオナルド・レーオの自筆オラトリオ、しかもこれまで未発見のもの!!のスコア!がまとめて売りに出されていると連絡があったばかりである。売値は2万ユーロ(250万)程度で大変安いと思われる。しかし、レーオの生地サン・ヴィート・デイ・ノルマンニに掛け合わせているが、それでもどうも難しいようだ。是非心ある施設に買われてほしい。ヴェネツィアのチェスキーナさんのようなメセナ人たちには、目立つ大コンサートへの寄付ばかりではなく(どうせチケットが売れるのだし)、こういう細かいながらも大切な音楽史料の購入や研究出版助成へも目配りしていただきたいものだと思っている。

●一方、ティツィアーナ・アッフォルトゥナートTiziana Affortunatoによるセレナータ再考は、きわめて興味深いものだった。そもそも17世紀から18世紀にかけては、高位の身分の者が主催するパーティー、催しでの正演目を意味し、「オペラより格式が高いオペラ的な演目」がセレナータの第一義であったが、19世紀になると「ノットゥルノ」と同義と規模の小さいものへと意味するものが変遷していったあたり、歴史的用語と内容の変化を実証し、さらには、同様のことが、カンタータについてもあることを浮き彫りにするものであった。そういえば何気なく使っているカンタータも、1曲も5分のものから2時間を超えるオペラ的なものまでいろいろあり、よく整理されてきていなかったのも事実である。

●ルカ・デッラ・リベラLuca Della Liberaは、スカルラッティのセレナータ「秋の栄光」の初演、そしてロンドン上演、そしてその内容を分析するものである。セレナータが、ロンドンのオペラ劇場で再演されていたというのも興味深いが、さらに擬人化された春夏秋冬のうち、「秋」のみが、「水」を表現する歌詞とともに、水が流れるような音楽がつけられているとの指摘はそうかとびっくりさせられた。ほかにもいくつか例があるようだが、どうも気をつけてみてみたいと思っている。(谷とか森はよく象徴されながら使用されるのだが、水は考えたことがなかった)。そして締めくくりとして、このセレナータは、2011年、ビオンディによって世界復活初演されるとの報告があり、なるほど、彼の発表はその校訂報告でもあったのだ。これぞザ・音楽学の仕事であろう。

●ローマ大学で博士論文執筆中のミケーラ・ベルティMichela Bertiによるアルジェンティーナ劇場で上演されたフランス王子誕生を祝うヨンメッリの舞台作品に関する発表も面白かった。大使の残す公式な記録は大変「外交的に処理されて誇張されてうまくいったと書かれているだけではないか」と疑問が寄せられていたが、確かにそれもそうだろう。1000本の蝋燭がともされオペラが上演されたというのだから、貴婦人のドレスのレースがいくつ燃えたことか、珍事件も種々あったはずである。

●在イタリア・ドイツ文化会館のプロジェクトで、ローマの貴族のプライベート図書館(Biblioteca Massimoなど)に残されるオペラ楽譜コレクションの調査と、デジタル化報告を行ったロランド・プファイファーRoland Pfeiffer博士(といっても同い年)の発表は興味深かった。これらの楽譜のデジタルコピーは現在ドイツ文化会館において閲覧できるらしいが、そのうちネットにアップされるそうで、とりわけ1790-1820年のオペラ研究にとって朗報である。

●ローマ大学で博士論文執筆中のパオロ・スッロPaolo Sulloは、ナポリ音楽院に残されるソルフェージュの検討を行うもので、和声、声のテクニックなどそれぞれの”用途”別に分類するものであったが、どうも丁寧ながらも面白さのない発表であった。

会場では、あのナショナルエディションのストラデッラ全集が半額以下セールをしていたので、オペラ2作品分を購入したら、それだけで5キロを超える大荷物。ほかにP.A.グリエルミに関する国際学会の論文集、ディンコ・ファブリス師によるデンティチェの校訂譜、ポルポラのパッシオーネ、モテットの校訂譜、前々からほしいと思っていたローマのアーカイブに基づく大部の学会報告書など購入。しめて200ユーロほど。
*Carolyn Gianturco - Patrizia Radicchi (eds), P.A.Guglielmi, Musicista italiano nel Settecento europeo, Pisa, Edizioni ETS, 2008
*Stefano Aresi (ed), Nicola A.Porpora, Sei duetti latini sulla Passione di Nostro Signore Gesu Cristo, Mottetti per Angiola Moro, Pisa, Edizioni ETS, 2004
*Dinko Fabris, Da Napoli a Parma, itinerari di un musicista aristocratico, Opera vocali di Fabrizio Dentice 1530-1581, Roma, Accademia Nazionale di Santa Cecilia, 1998
*Bianca Maria Antolini-Arnaldo Morelli-Vera Vita Spagnuolo (eds), La musica a Roma, attraverso le fonti d'archivio, Atti del convegno internazionale, Roma 4-7 giugno 1992, Lucca, LIM, 1994


これらの本を買った後、大阪の学会でなにやら大学における音楽学の役割というセッションがあったことを思い出した。イタリアの音楽学は、歴史学が中心となり、そして音楽分析を内包する音楽研究分野であるとの共通認識がある。そして、音楽学者の第1の仕事は、校訂譜の作成であることも共通認識にある。

会場か打ち上げか、私もそういうイタリアかぶれを十分承知の上で、演奏家にこびずに楽譜を作れっていれば良いのだというような趣旨の発言をしたところ、思想寄りの仕事をしている人には意味が伝わらなかったのかどうも反感を買ったような気配であった。
この場で私の真意をはっきりさせておきたいが、楽譜(校訂譜)を作るということは、現存する史料の特定、分析、それらの関係を明らかにし(文献学)、さらには紙、インク、筆跡、記譜法、さらには使用楽器、演奏法、出版事情、そして曲の需要、そして演奏、上演という社会史的側面、これらをすべて従える最終作業と考えるべきなのである。
日本での音楽学は、どうもこのところ広がるのが良いという風潮でなんでもありにはなっているが、広げること自体目的になっているようで、反対に、楽譜という収斂すべき対象をより多角面から検証するための「広がり」としてそれら手段が認識されていないところに問題があるような気がしているということを私は言いたかったのである。
どちらにせよ、そろそろコンサヴァ思考へのゆり戻しが強く来るような気がしている。


●さて、学会を終え、2泊ナヴォナ広場近くのアパートに延泊する。

最近どうもローマという町が楽しくてしょうがない。考えてみれば、その昔は朝から夕方まで作業をして日帰りか、駅前の汚いところに宿をとってさっさと帰るというパターンだったため、夕方や夜の旧市街を良く知らなかっただけのことである。
そのようなわけで取り返すかのように旧市街やら古物商をくまなくめぐり、ゲットーやトラステヴェレの名物食堂などに通う。メタスタジオの石像に見下ろされながら、ヴァッレ劇場を訪ね、カプラニカ劇場でやっていたオールナイト?映画祭ではイスラエル映画を見る。そしてナヴォナ広場近くの版画屋では、18世紀のアルジェンティーナ劇場の内部スケッチ(手書き)を購入する。18世紀の劇場内部のスケッチは非常に珍しいが、それが300ユーロを値切って270ユーロで買えたものだから大きな収穫であったと言えよう。

その他、17世紀のオリジナルのナポリ製の額(600ユーロ)、18世紀のサヴォイア王の肖像画(15000ユーロ)、ファウストが悪魔に魂を売る絵(1000ユーロ)、16世紀の彫刻がすばらしい額(5000ユーロ) など、ほしいものが次々と出てきたが、とりあえずは、かねがね新調したいと思っていた格好よいめがねを、偶然通りかかった職人街にある大層素敵な眼鏡屋で購入して新年度の気分を先取りした。


結論として、田舎勉強より京(ローマ)の昼寝 は誠に真なりということであった。

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トスカーナ・オペラ・アカデミー”チマローザ”の活動

実は、昨年からトスカーナのコルトーナ市を本拠にするオペラ・アカデミー”ドメニコ・チマローザ”の学術顧問を引き受けている。
http://www.accademialiricacimarosa.com/Consiglio_Direttivo.htm

ドメニコ・チマローザと名前がつけられているだけあって、私にも話がきたという寸法。
指揮者のシモーネ・ペルジーニは、昨年チマローザの《こまった劇場支配人》の批判校訂版を出版し、今はパイジェッロのオペラの校訂をしており、18世紀のオペラの復活を、教育活動とともに目指す団体である。

実際の活動は、夏季セミナーなどを中心に、若手歌手たちとオペラを練習して上演を行うのだが、今年はモーツァルトの《みてくれの馬鹿娘》が選ばれている。

それで、皆で来年2010年の演目をつめているとき、先日のサザビーズで売りに出されている《変わらぬ愛Amor costante》のアリアを紹介し、これを来年上演をしたらどうかと提案したら、みなすぐに賛同して、2010年に向けてこのオペラの初演を目指すことになった。

世界復活初演になること、そしてもう台本、自筆譜は手元にあって、だいたい準備も整っていること、そして、歌手は5人、2幕と分量的にもちょうどいい。また、ナポリ語でないのも、学生、それからトスカーナという場所での上演にとっては都合の良いことである。

このようにどんどんと2010年の予定が決まってきているが、じつは、プーリア州のマルティーナ・フランカの音楽祭でも、1つのオペラの監修をまかされることになり、今作品を検討している。

検討している作曲家は、
ピエトロ・ジェネラーリ、
ヴァレンティーノ・フィオラヴァンティ
それからシルヴェストロ・パルマ 

の特に3人。
18世紀後半から19世紀前半にかけて、パイジェッロの《ニーナ》や《支那の偶像》などはじめ、18世紀の名作が次々と再オペラ化される時期があって個人的に興味があるのだが、これら作品がほとんど復活上演されていないどころか、話題に上ることもないので、このあたりを紹介して、ぜひマルティーナ・フランカに集うマニアな観客をうならせたいと思っている。
特に注目しているのが、フィオラヴァンティであるが、こちらは自筆譜が極めて読みにくく、面倒なことになりそうだ。そういうこともあり、次にシルヴェストロ・パルマも面白いと思っている。パイジェッロの弟子として有名であるが、彼の1802年にナポリ・ヌォーヴォ劇場で初演された喜劇オペラ《そらとぶ気球Pallone aeronautico》を検討すると、題材だけでなくなかなか音楽もよい出来で、同時代の気球ブームを紹介しながら、このたびの復活初演に値するかもと指揮者に推薦をしている。
19世紀初頭だか、ナポリからイスキア島に気球で飛ぶという試みがおこなわれたが、1週間後、ぜんぜん違うところに到着したとか時事ねたの宝庫である。


そのほか、2010年は、スカルラッティ、ペルゴレージ年でもあるので、こちらにもいろいろ動きがつたわってきているが、どうも日本でもこの辺のオペラ全曲が舞台つきで紹介されそうな気配になってきているので、ずいぶん楽しみな年になりそうだ。

この土日ですっかり忘れていた昨年度の科研報告書を書き、研究と関係ない雑事と家事でばたばたしてまったく論文も進まない。
同時に、あちらこちらの学会から矢継ぎ早の催促があるにもかかわらず、もうさておき、明日は4時おき、6時の飛行機にてミュンヘンに向かうのでこれにてしばしの間ドロン。
ザルツブルクでのデモフォオンテ、メルクでのポルポラのアグリッピーナ、ウィーンでのチマローザの楽譜検討、など、とりあえずは所用のはずであるが、ダルマイヤーでのランチなどは欠かせないものである。


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ザルツブルク・ペンテコステ音楽祭2009(ヨンメッリのオペラ)

ここまで書いておいて、今年の予定を書かないのは不親切というものである。

2009年5月末に予定される音楽祭は、「オペラ・セリア」がテーマとされ、5月28日から6月1日にかけて計5つのオペラ/コンサートが予定されている。

まず目玉は、ムーティ指揮によるヨンメッリ(1714-1774)の《デモフォオンテDemofoonte》(ナポリ、1770)であり、このプロダクションはその後、共催のラヴェッロ音楽祭(ナポリ近郊)、パリ国立オペラ座(9月)にも持って行かれる予定であるので、ザルツブルクを訪れない方でもあちらこちらで聴けるチャンスがあるはずである。


チマローザと同郷人で、アヴェルサの裕福な商家出身のヨンメッリは、シュトゥットガルトの宮廷で長らく活躍し、新しいオーケストレーションで有名なマンハイム楽派を「創出」させた重要なオペラ作曲家であるが、(マンハイムの作曲家が彼の音楽技法を真似し発展させたことにより、長らくマンハイム楽派と呼ばれてきた。)、晩年ナポリに帰国して発表したのが、この《デモフォオンテ》ナポリ版である。

メタスタジオによりウィーンで最初に発表されたこのオペラ台本は、その後18世紀を通して、彼の《見捨てられたディドネDidone abbandonata》、《アルタセルセArtaserse》、《ニッテーティNitteti》などと並んでもっとも人気の高い作品として知られるものであり、トラキア王デモフォオンテ王の寛大さが描かれる。ヨンメッリもナポリで発表する以前になんと3回もほぼ同じテキストに基づきこの作品を発表している。

第1、2稿の楽譜は現存しないため不明であるが、第3稿(シュトゥットガルト、1764)とナポリ版の第4稿(1770)は一部を除いて大きく異なっていることがわかっている。その理由は、ヨンメッリがシュトゥットガルトを離れる際、自作の楽譜の持ち出しを禁止されたため、再度作曲せざるを得なかったというためである。

ムーティの取り上げるナポリ版は、ナポリ音楽院に残される第4稿筆写譜を基にするもので、今回が世界復活初演となる。  

なお、1764年の第3稿《デモフォオンテ》については、シュトゥットガルトを中心に活躍し、ヨンメッリの《見捨てられたディドネDidone abbandonata》(1763)の録音 などを行っているフリーダー・ベルニウスによって1995年に上演されており、その演奏は1996年1月21日のNHK-FMにて日本にも紹介されており、お聴きになった方も多いと思う。ザルツブルクの上演は、まさに旧作との比較ができることで何より楽しみである 、

具体的な変更点について、ヨンメッリを通して古典派のオペラ・セリアの研究を行ったワイマールによると、その著作で第3稿と4稿でほぼ同じ旋律を持つアリア《臆病者の愛なぞ気にかけないNon curo l'affetto d'un timido》を取り上げ、バス部分のリズムパターンの変更に注目し、第3稿で(パパパー/パッパッパ)と前につんのめったようなリズムパターンが、第4稿では(パーパパ/パッパッパ)という落ちついたリズムパターンに変更されていることを指摘している。

また、第3稿では、メロディのクライマックスが、和声とバスのクライマックスより先にきており、3小節目冒頭の歌の2点Dは、バスが本来の和音を離れる前に、基本形の主要3和音に戻すはたらきをしていているというが、第4稿での旋律で最も高い音は、3小節目の頭のDではなく、8分の4拍目の2点Eに置かれており、このため、メロディにシンコペーションがおこっていると指摘している。

また、さらに3稿において独立したヴィオラが、4稿ではなくなっている点の指摘も、古典派、あるいはナポリの趣味への対応をあらわすものとして興味深い。

また、歌手の一人、若手カウンターテノールですばらしい美声のアントーニオ・ジョヴァンニーニは、私が監修して、5月頭に発売となったチマローザの《初期宗教曲集》にも参加してくれており、彼のザルツブルクでの晴れ舞台を楽しみにしている。
なお、チマローザのCDについては、もうタワレコでも購入できるので、興味がある人はもうみつけているとおもうので、あえて宣伝はしないことにする。
http://nipolitan.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/cd-2378.html


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そして、もうひとつの目玉が、ビオンディの2年ぶりの登場であり、レーオとヨンメッリの師匠として名高いニコラ・ファーゴ(1677-1745)のオラトリオ《水に沈んだファラオーネIl Faraone sommerso》を持ってくる。

こちらは世界復活初演ではなく、本稿の最初に触れたレオナルド・レーオ音楽祭において、コジモ・プロンテーア率いるコンフラテルニタ・デイ・ムジチにより2004年の夏だったかに世界復活初演された作品であり、校訂譜は、プーリア州音楽文献の協議会IBIMUS支部代表?Meucci女史によるものである。

この作品は、ロッシーニの《モーゼとファラオ》と同様、モーゼが紅海を割ってエジプトからユダヤ人を逃がす聖書の一節に基づく台本で、先に筆者があれほど評価しないと言っていたコンフラテルニタ・デイ・ムジチの演奏で聴いただけながら、その時点ですでにドラマチックで質が大変高い作品と思ったことが思い出される。

ビオンディの指揮、ならびに、本年秋に日本イタリア古楽協会のため初来日が予定されているソプラノの女王、ロベルタ・インヴェルニッツィが出演する予定で、宗教曲に力を入れたファーゴの真価がここでようやくあらわになるはずであり、まさにこのためだけにザルツブルクに行く価値が十分にあるといえよう。(再演地は現在のところなし。)

なお、ナポリを中心に活躍したファーゴの自筆譜はナポリ音楽院ではなく、パリ国立図書館に大量に眠っている。ナポレオンによるナポリ支配期にパリにもたらされたというより(パイジェッロの筆写譜など)、スカルラッティ父子のオペラ、カンタータの筆写譜などをイタリアでごっそりと買い付けた20世紀初頭の音楽学者プリニエールによって伝来した史料ではないかと考えられるが、詳細な研究はまだなされていない。

ファーゴの演奏会の同日夜(5月30日)には、再びビーズリーとアッコルドーネ・アンサンブルの演奏会が予定されている。

2009年のテーマは、ナポリ王フェルディナンド4世のアドヴァイザーで、錬金術方面の活躍も行っていた、サンセヴェーロ公ライモンド・ディ・サングロの生涯にインスパイアされたコンサートとのことで、迷信や伝説に影響を受けたナポリの民衆音楽をとりあげるそうで、何やら大変興味深い。

2009年5月31日については、私の楽譜でポルポラの《アグリッピーナ》をウィーン近郊のシュティフで演奏してもらうことになっているので、行けないと思うが、この日のコンサートは、ここ最近のフランス古楽界を沸かせているカウンター・テナーのフィリップ・ジャロスキーとジャン・クリストフ・スピノジが登場し、ポルポラ、ヴィンチ、ハッセ、レーオのアリアを聞かせてくれるという(詳細未定)。

なお、ジャロスキーは、2007年に、エマヌエル・ハイムと組んで大部のブックレット付きCD「カレスティーニ:カストラートの歴史Carestini, The Story of a castrato」(Virgin Classics, 5099951054427)を出版しているように、ザルツブルクでも、おそらくは2008年のショルのセネジーノのコンサートに対抗して、カレスティーニを意識したコンサートとなるのではないかと予想している。 
 
そして、こちらも残念ながら参加できないが、最終日の2009年6月1日には、今回もチケット入手至難と思われるムーティの宗教曲のプログラム、パイジェッロの《ミサ・デフンクトルムMissa defunctorum》(1789)が予定されている。

こちらは、おそらく世界復活初演になる作品で、近年立て続けに出版されているパイジェッロの宗教曲録音 をご存知の方にとっても見逃せないプログラムである。また、1789年といえば、今日も数多く上演されている《ニーナNina ossia La pazza per amore》が6月25日にカゼルタで初演された年であり、その点からも彼のスタイルを知る上で誠に得がたい機会となる。   

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●ヨンメッリ《デモフォオンテDemofoonte》(ナポリ、1770)
日時:2009年5月29日、19:30 / 5月31日、19:30
指揮 リッカルド・ムーティRiccardo Muti
演出 チェーザレ・リエーヴィCesare Lievi
舞台 マルゲリータ・パッリMargherita Palli
衣装 マリーナ・ルクサルドMarina Luxardo
照明 ルイジ・サッコマーニLuigi Saccomandi
演奏 オーケストラ“ルイジ・ケルビーニ”Orchestra giovanile “Luigi Cherbini”


●ファーゴ《水に沈んだファラオーネIl Faraone sommerso》(1709)
日時:2009年5月30日、11:00
   指揮 ファビオ・ビオンディ Fabio Biondi
演奏 エウロパ・ガランテ Europa Galante
歌手 ロベルタ・インヴェルニッツィRoberta Invernizzi (Messo)
      マリアンヌ・ベアート・キールランドMarianne Beate Kielland (Aronne)
ジェームス・ジルクリストJames Gilchrist (Mose’)

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